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山の家の近くに顔を出したフキノトウ。いよいよ春です
(画像をクリックすると拡大します) |
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あの大雪もとけ、まずはジャガイモの植え付けのために土づくりに励んでいます |
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3ヵ月ぶりに対面した野菜たち。雪の下でひと冬を過ごしました |
3月15日更新
関西に春の到来を告げるといわれる、奈良、東大寺二月堂の「お水取り」も終わり、そろそろ花だよりが聞こえてきそうです。
今冬の厳しさで、サクラ(ソメイヨシノ)の開花も遅れるものと思っていましたが、例年より10日近くも早い開花予想が出されました。サクラは冬季の寒さにはほとんど影響を受けず、2月後半からの暖かさが開花を早めるのだということです。
近江今津(おうみいまづ)の山々にもそろそろコブシの白い花が咲き、山の家にある地生えのヤマザクラも、淡いピンクの花を見せてくれるでしょう。そして、山裾に紫がかったミツバツツジの花が目立ち始め、山全体が白っぽい緑に変わる頃、ソメイヨシノが満開の時を迎えます。奥琵琶湖の春を輝かせる「海津大崎(かいづおおさき)」のサクラを求めて、花見の船がたくさん琵琶湖に浮かぶのは4月の中頃でしょうか。
植物たちは自然の営みをそのままに受け入れながら、しっかりと自分の個性を主張し、悠久の時を楽しんできたのでしょう。私たちも生あるかぎり、自然に抱かれ、素直にその恵みを楽しみながら暮らしたいものです。
4月のような陽気が2日間続いた後の3月8日に農園へ出かけました。雪が残っていても、ジャガイモを植える畝だけは土づくりをしておきたいし、シカに食べられてしまう前に、3ヵ月間も雪の下でがんばってきた野菜たちを収穫したかったのです。
気温は15℃、山々はかすみ、青空も淡くやさしい色です。農園は天高くさえずるヒバリの声と明るさを増した陽光に包まれ、あんなに厚く広く辺りを覆い尽くしていた雪は、姿を消して跡形もありません。やわらかい風が吹き、一面に広がる田んぼは、芽を出したばかりの小さな草たちに覆われてもう緑なのです。
あの大雪を溶かしてすっかり飲み込んでしまった農園は、水分をいっぱいに含んで黒々とした土を現し、凍ててずるけ(とろけ)てしまったダイコンとハクサイが、哀れな姿で並んでいます。その上、シカに食い荒らされているのです。
しかし、もうだめかと思ったダイコンも、土の中に埋まっている部分はみずみずしくて、かじってみたらこれが甘くておいしい。すっぽりと土に埋まっていた丸ダイコンは、葉は芯の部分しか残っていないのにじつに大きくて重く、凍っていません。結局、ダイコンのほかにキャベツ、小カブラ、ニンジンをたくさんと、シカの食べ残したハクサイを少し収穫しました。とくに厳しかったこの冬を、見事に乗り切って目覚めた野菜たちのしたたかさに大感激です。
この日の夕食は、丸ダイコンと薄揚げと鶏肉の煮物、小カブラと塩昆布の即席漬、キャベツと豚肉の醤油味の炒め物、生ニンジンのスティックに手づくり味噌の練り味噌添えという献立になりました。とろけるような丸ダイコンと、生のニンジンの甘さ、香りが大好評でした。
農園が新しい春を迎えました。本格的な農作業を再開します。
昨年は3月中旬にどか雪が降り、何とか春らしくなった20日頃に土づくりをしました。今年は3月18日と19日に予定しています。孫たちといっしょに、久しぶりに土づくりに汗を流し、良い収穫を祈りましょう。
時の流れはじつに速いものです。自己紹介と土づくりの記事で始まった私たちの「畑通信」を、みなさまに見ていただくようになってから1年が過ぎました。ささやかな体験とつたない文章を、たくさんの方が読んでくださっているということで驚いています。本当にありがとうございます。
4月からは少し構成を変えて連載を続けますので、これからもよろしくお願いします。
エッセイの部分では、私たちの農園風景や農作業の様子もお知らせしながら、農業とのかかわりのなかで育まれてきた農村の営みや暮らしのあり方など、いまも農村にいきづいている生活の豊かさをお伝えできたらと思います。また、農村に広がっている新しい地域おこしの活動などもご紹介し、農村の人たちと都市に暮らす人たちのつながりが深まる契機になればと考えています。
これまでの「今月のお手入れ」コーナーはデータベースとして残し、新たに「野菜をつくろう・野菜を生かそう」コーナーを設けて、その時期のおもな野菜のつくり方、その季節の野菜の加工方法や食べ方を随時書いてゆきたいと思います。
どの程度のものになるか自信はありませんが、思いのままを素直に書きたいと思いますので、どうぞお付き合いください。
前回の宿題の回答です。
1.次の野菜の名前は何と読みますか。
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山葵(ワサビ) |
豌豆(エンドウ) |
玉蜀黍(トウモロコシ) |
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生姜(ショウガ) |
辣韮(ラッキョウ) |
大蒜(ニンニク) |
2.次の野菜の名前を漢字で書いてください。
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ホウレンソウ(菠薐草) |
ゴボウ(牛蒡) |
シソ(紫蘇) |
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ミョウガ(茗荷) |
ニラ(韮) |
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3月1日更新
前日に、春を感じさせるような陽差しが一日続いた2月14日、「最高気温が15℃まで上がるでしょう」という天気予報に誘われて農園へ出かけました。
曇り気味の空の下、湖東の山並みはうっすらと遠く、琵琶湖はかすみの中に沈んでいました。やっぱり春は近いようです。
期待して座禅草(ざぜんそう)の群生地にも足をのばしてみました。まだ訪れる人の姿はありませんが散策道は除雪され、湿地の中に水面が広がるあたりは雪解けして、そこに小さな座禅草をいくつも見つけることができました。紫褐色の花苞(かほう)から顔をのぞかせたばかりの花序の鮮やかな黄色が、あたりに春の光を投げかけているようです。
しかし農園はまだまだ深い雪の中。地元の人々をも驚かせた今冬の雪は田畑を覆い、「もうしばらくは私の季節よ」と言っているようです。
足の付け根まである雪を掘り起こして、やっと3本のダイコンを抜きました。今年に入って2回目の収穫です。しかし、ハクサイ、キャベツ、ニンジンは掘っても掘っても見当たらず、本格的な春の訪れを待つしかないとあきらめました。こんなに深い雪ですが掘り進んでいくと、土と接しているあたりの雪はふんわりと柔らかく暖かささえ感じます。土も春の近いことを知っていて、積もった雪を少しずつ、底からとかし始めているようです。
その後、ひと雨ごとに陽差しは暖かさを増し、頑固に居座っていた雪も薄くなってきた26日に農園を訪れました。道路脇に立てられた温度板は9℃を表示し、暖かい雨が少し強く降っていました。薄くはなったけれど、まだまだ一面を覆い尽くしている雪がこの雨に温められて、広々とした雪原全体からわき上がるように靄が立ちのぼっています。雨に濡れて黒く沈む箱館山を背景にした、墨絵のような幻想的な風景に目を奪われました。
そんな風景の中で、雪を分けてダイコン、ハクサイ、キャベツ、ニンジンを掘りました。ダイコンは半分凍り、ハクサイは外葉がずるけ(とろけ)、1mから積もった雪の重さに押しつぶされたようになっていましたが、キャベツはしっかりと緑の葉を巻き、みずみずしい姿を現してくれました。そして、期待していたニンジンも緑の葉を付け、雪の中が過ごしやすかったかのように新鮮なのです。「雪に強かったのはキャベツとニンジンだったね」と、雪の下の野菜たちの様子にひとつの結論を得ました。
帰り道で、南面の雪解けした田んぼの畦にフキノトウをみつけました。そのかたわらの枯れ草の中には、ヨモギが柔らかそうな葉を出し、若い緑が目に鮮やかです。フキノトウ味噌やヨモギだんごをつくってみたくなりました。私たちの体も、春の芽吹きのさわやかな香りと苦みを待ちかねているようです。
3月の中頃には植えてしまいたいジャガイモのために、ジャガイモ用の畝だけは、雪が残っていても市販の牛糞堆肥と苦土石灰を入れて耕耘(こううん)し、土づくりをする予定です。そして、雪がとけたらすぐにとりかかりたい農園全体の土づくりと、春のタネまきの段取りを急ぎましょう。
2月の中旬に苦土石灰や肥料とともに一部のタネを農協に注文し、残りのタネは種苗会社に申し込みを済ませました。牛糞堆肥も農園近くの酪農家に軽トラック2台分を注文し、農園に運んでもらうことにしてあります。
3月中旬には、この堆肥と苦土石灰を畝全面にばらまき、十分に耕耘します。タネまきをする1週間前には元肥を入れて再度耕耘し、畝立てをします。サクラの開花を待って、いよいよ軟弱野菜のタネまきです。
この頃には、まわりの田んぼで田植えの準備が始まり、久し振りに顔を合わせる農家の皆さんと挨拶を交わしながらの農作業が楽しみです。
さあ、待ちに待ったうれしい季節の到来です。
この時期に、お正月から機会あるごとに考えてきた今年一年間の栽培計画の最後のチェックをして、準備を進め農作業に入ります。
私たちはこんな計画を立てて、一年を楽しもうと思っています。
4月初めにタネをまくのは、コマツナ、葉ダイコン、小カブラ、大阪シロナなどの軟弱野菜とニンジンです。今年はツクネイモの種イモもこの時に植え付けます。1週間もすると軟弱野菜のかわいい芽が出そろい、ちょっぴり畑らしくなってきます。
5月の連休には娘や孫たちも総動員で、ナス、トマト、キュウリ、ゴーヤ、ピーマン、スイカ、カボチャ、メロンの苗の植え付けと、モロッコインゲン、サンドマメ、トウモロコシ、エダマメとゴマのタネまきを済ませ、農園らしさが整います。
苗たちもしっかりと根付き、タネをまいたところにはかわいい芽が出そろってくる5月の中頃には、ナスやトマトの支柱を立て、キュウリやゴーヤ、サンドマメなどにネットを張り、トウモロコシには倒れないように支えをしてやります。このときにあわせて、200本のサツマイモの苗を植えると農園の完成です。
それからは、軟弱野菜を収穫しながら、みるみる生長していく夏野菜たちの管理に追われる、忙しいけれど活気のある時期になります。
6月に入るとキュウリの収穫が始まり、中頃には味噌用のダイズのタネをまきましょう。そして、3月の中頃に植え、畝いっぱいに繁っていたジャガイモの葉が枯れだす6月の終わり頃に収穫の時を迎えます。
梅雨の晴れ間を見付けてジャガイモの収穫を終えると、いよいよ夏野菜の最盛期に入り、食べるのが忙しくてうれしい悲鳴を上げるほどです。友だちを誘って農園へ収穫に行くことも多くなります。
梅雨も明けて、カンカン照りの夏日が続くようになるとスイカの収穫です。スイカやメロンの大好きな孫たちは、「ぼくのスイカ」「私のメロン」をきめて生長を楽しみにし、夏休みに入ると農園を訪れることが多くなります。山の家でのスイカ割りは恒例の行事です。
また、2回に分けてタネをまき、200本ほどつくるトウモロコシも、7月の末から8月の中頃まで収穫でき、収穫したての甘さとおいしさをたっぷりと味わえます。井戸水で冷やしたもぎたてのトマトとゆでたてのトウモロコシは、夏休みの孫たちにとっては最高のおやつです。
お盆も過ぎてススキが穂を出し始めると、秋・冬野菜のタネまきの時期になります。私たちは、暑いお盆の頃からジャガイモ、トウモロコシ、エダマメの収穫が終わった畝を整理し、耕耘して元肥を入れ、9月の初めにダイコン、ニンジン、軟弱野菜のタネをまき、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの苗を植え付けます。
秋ナスとピーマンを残して、収穫の終わった夏野菜の後片づけをし、秋・冬野菜の苗が育ち始めると、農園はいっきに秋の風景です。そんな作業と並行して、9月初めにはゴマを収穫し、中旬からはサツマイモ掘りに汗を流します。10月の中頃にはサツマイモの収穫も終わりです。
11月初めには、待ちきれずに太そうなダイコンから収穫を始めます。秋・冬野菜が本格的に収穫できるようになるのは11月中旬です。
昨年は、11月23日にたくあん用のダイコンを収穫し、10日間干してからたくあん漬にしました。そして、雪が降るまでにとハクサイを収穫し、タル一杯のハクサイ漬を仕込んだのが12月13日でした。
その後、カリフラワーやブロッコリー、ダイコンやハクサイ、キャベツを収穫して孫たちに届けた後すぐに、農園は雪に包まれて冬ごもりに入ります。
今年、和雄はスイカとメロンの新品種の栽培と、昨年から手がけているジャンボカボチャの記録更新(まずは目標50s)に挑戦します。愛子は、昨年試作したショウガの栽培と加工(乾燥ショウガ)に挑戦したいと思っています。
みなさんもぜひ、具体的な目標を立て、思いっきり楽しんでください。
この冬が農園をはじめて以来の厳しい冬だったからでしょうか、ことのほか春の光の暖かさを敏感に感じ、これからの農園でのくらしに胸のふくらむ思いです。
[和雄のひと言]
私が講師をしている大阪府老人大学も3月3日が今年度の最終講義です。
できればもう1年留年したいというご希望をたくさん聞きますが、1年で卒業していただく大学です。
私も学生さんたちの熱意に励まされて、1年間無事に続けらたことを感謝しています。お別れするのはじつに残念ですが、OBでつくっておられる園芸研究会(大学院)や同窓会でお会いできることを楽しみにしたいと思っています。
毎年最終の講義には、「卒業試験」と称して園芸に関する問題を出して皆さんを悩ませています。
そこで、今年の問題。皆さんもご一緒に考えてみてください(答えは3月15日に)。
1.次の野菜の名前は何と読みますか。
山葵 豌豆 玉蜀黍 生姜 辣韮 大蒜
2.次の野菜の名前を漢字で書いてください。
ホウレンソウ ゴボウ シソ ミョウガ ニラ
来年度の申し込みは3月3日に締め切られ、5月からは28期の新しい学生さんを迎えて園芸環境科の講義をはじめます。今年はどんな学生さんが私の講義を受けていただけるのか今から楽しみです。
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2月15日更新
私たちの農園から2qほどのところに、湖西に春を告げるといわれる「座禅草(ざぜんそう)」の群生地があります。
座禅草はサトイモ科の多年草で、2月から3月にかけて湧き水のようなきれいな水が豊かにある湿地で花を咲かせます。仏像の光背に似た紫褐色の仏炎苞(ぶつえんほう)に包まれた、黄色く丸い花序(かじょ)の姿は僧侶が座禅を組んでいるように見えます。
この花序は球形で、肉質の花軸に花枝のない小さな花をびっしりとつけていることから、「ミズバショウ」の仲間であることがよくわかります。
近江今津(おうみいまづ)の群生地は、美しい竹林に囲まれた湿地で、2月いっぱいは雪に覆われています。その雪に覆われた湿地のあちらこちらに、15pほどの花が自分の回りの雪を溶かして顔を出し、春の近いことを告げてくれるのです。
これは座禅草の花序が発熱し、その温度は30℃近くにまで達し、外気温がマイナスに下がっても25℃近くの温度を保って、文字どおりまわりの雪を溶かすのだそうです。
私たちも、2月も半ばになると座禅草に会いたくなって、毎年友人を誘って群生地を訪れますが、今年は大雪の影響が気になります。例年どおり咲いてくれるでしょうか。早く春に会いたいと心待ちにしています。
昨年は、雪解けを待ちかねて2月20日に畑全面を耕耘機で耕やしました。ジャガイモを植える予定のところに、JA(農協)で購入した袋詰めの牛糞80sと苦土石灰3sを入れて土づくりをし、3月11日にジャガイモを植え付けました。
できれば今年も3月10日頃にはジャガイモが植えられるように準備を進めたいのですが、さて、雪は2月中に溶けてくれるでしょうか。少し心配になってきました。
大阪では、ジャガイモは2月中に植え付けるものと思っていたのですが、湖西ではそうはいかないようです。
農園を借りて初めてジャガイモを植えたとき、大阪と同じように2月の終わりに雪をかき分けて植え付け、隣の畑の親父さんに驚かれたことがありました。3月に入ってから植え付けられた隣の畑のジャガイモと競争しながら育ちましたが、結果的には収穫時期も収量もあまり差がありませんでした。
それからは何とか2月中に土づくりをして、3月10日前後に植え付けるようにしています。
昨年、孫たちにも手伝ってもらい、農園全体の土づくりをしたのが3月19日でした。
前年までは、カエルを追いかけて農園中を走り回り、農作業にはほとんど関心を示さなかった双子の孫たちが、昨年はクワでしっかりと土を耕してくれたのには驚きました。
もうすぐ3年生のお兄ちゃんになる今年は、どんな働きをしてくれるでしょうか。その成長の早さと成長することのすばらしさにきっと驚かされることだろうと、今から楽しみにしています。
孫たちといっしょに土づくりの作業ができるように、土曜、日曜を含めて早めに予定をたてましょう。 隣のマキノ町にある温泉プールにつれて行くことを約束させられそうですが、それもまた楽しみです。
3日間雨が続いたあと、早朝から春を感じるような陽差しが射してきた2月2日、「もしかしたら野菜が掘れるかもしれない」と農園へ出かけました。
湖西道路に入って比良の山なみが近づくころ、対岸に真っ白な伊吹山と鈴鹿の連山がくっきりと姿をみせてくれました。湖東は晴れ、水色の空に春のような光が射して、透きとおった風景に暖かさを加えています。
しかし、湖西の山々は灰色の雲に覆われ、ときどき落ちてくる時雨をいっぱいに含んで常緑の木々と冬枯れの草木が色を濃くし、しっとりと沈んでいます。その山々にときどき光が射し込むと、あちこちの谷間からゆらゆらともやがたちのぼり、農家の点在する集落の上に小さな虹がかかりました。
いつ通っても、自然の演出に魅了される湖西道路のドライブです。
工事用に除雪された農道を入って、できるだけ農園に近いところに自動車を止めました。人っ子ひとりいない雪野原ですが、たしかに雪かさは減っているようです。そこからはシカの足跡さえついていない雪を踏み固めながら、子ども用のソリとスコップを持って農園まで歩き、ダイコンが植わっていそうなところをあちこち掘ってみました。
掘っても掘ってもなかなかダイコンにたどりつきません。凍ってとろけてしまった葉っぱが見えたのは50〜60pも掘ったころでした。やっとのことで3本掘り出しました。土から出ていたところは凍って透明になっていましたが、土の中に入っていたところはみずみずしい状態を保ち、とろけた葉の芯の部分には、目に鮮やかな若緑の葉をつけていました。
残りの野菜たちがシカに食べられないように雪を埋めもどし、ソリにダイコンをのせて、やっとの思いで自動車のところまで帰ったときには体中が汗ばみ、陽光が暖かすぎるようにさえ思えました。やっぱり春は近づいているようです。 気になっていた雪の下の野菜にやっと会え、大阪に持ち帰って早速サラダとおろしダイコンにしましたが、わが家の野菜の味が口いっぱいに広がりうれしくなりました。
もうすぐ、陽当たりのよい土手などにはフキノトウも顔を出すでしょう。そして、ヨモギやツクシが枯れ草の中に姿を見せるようになると、いよいよ待ち遠しかった春です。農園の仕事もスタ―トします。
*1月15日付けの記事を訂正しました。
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2月1日更新
1月4日から雪が降り続き、箱館山の裾野にある山の家では、8日にはついに積雪2m近くにもなりました。山から少し離れている農園でも1mを越え、近在の農家のお話では「80年ぶりの大雪」だということです。
スーパーマーケットで日々に値上がりしていく野菜を見ながら、雪の下で眠っているわが家の野菜たちを思い浮かべ、毎日天気予報に注目しています。
やっと寒波が遠ざかって3月上旬なみの気温になった15日、野菜が掘れるかと期待して農園に出かけました。
前日のたっぷりの雨に洗われた山並みも琵琶湖も、やわらかなもやに包まれて春のようです。黄色みを帯びた竹林も何だか緑を増したようで、寒さに耐えたあとの喜びを表しているようにさえ思えました。しかし、近江今津(おうみいまづ)に近づくにつれて田畑を覆う雪は厚くなり、農園の積雪は70pからあって、近づくことさえできませんでした。
前日の強い雨でさざ波のような文様をつけた雪原の向こうで、真っ白な伊吹山が「これからが、冬本番だ!」と叫んでいるようです。
野菜たちと会えるのはまだまだ先になりそうです。
山裾の林の中にある山の家は、もっともっと深い雪の中です。雪遊びを楽しみにやってきた孫たちはおおはしゃぎ。急斜面の屋根をすべり落ちた雪は軒先まで届き、ソリですべるには最適の斜面をつくっています。足の付け根まで雪に取られて悲鳴を上げたり、転げ落ちたりしながら斜面を固めてソリ遊びを楽しみました。
サルたちが食べにくる柿の木の下だけは、踏み固められてサルの運動場のようです。「柿の木まで、かけっこしよう」と孫に誘われ、誘いにのってみましたが、踏み込んだ足が抜けずお尻の跡を幾つもつくってしまいました。野菜たちには会えなかったけれど、うれしい一日でした。
2月といえば味噌づくり。味噌づくりは今でも農家にとって寒の内の大切な仕事です。
みなさんもご存じのように、その土地の風土から生まれた個性的な味噌が、日本中にあります。お米の産地では米こうじの多い甘味噌、京都の白味噌が代表格です。大豆のこうじを多く使った赤味噌や八丁味噌、麦のこうじを使った九州の麦味噌も有名です。
大阪でも、京都に近い地方では米こうじの多い味噌、奈良に近い地方では、米こうじにおかゆを合わせて発酵させた「だきこうじ」と煮豆を合わせてつくります。また、和歌山に近い泉州地方では麦味噌が多いのです。
このように、昔からその土地の産物と気候条件を生かしたお味噌がつくられ、醤油とともに日本の味を支える大事な調味料として活躍してきたのです。
しかし、1960年〜1970年代の経済の高度成長期、父さんや若者は農業から離れ、他産業で働いて現金収入を得るようになり、母さんたちも誘い合って、村の中にできた「内職工場」で働くようになったのです。そして、工場からの帰りに店屋に寄っては、ハムや魚肉ソーセージなどを買って帰るようになり、味噌もつくるものから買うものへと変わっていきました。
この頃は、手作りするよりお金を出して買うことのほうが豊かなのだと、錯覚してしまっていたのでしょう。
こうした社会や暮らしの急激な変化は、工場などから出る汚染物による公害問題、加工食品の添加物による食品汚染、そして農薬による農産物の汚染などの問題を生み出しました。そして、「お味噌まで買っている暮らしのあり方が、本当に豊かな暮らしなのか」、「添加物いっぱいの食品が大好きだという子どもたちが心配だ」、「農薬の恐しさも勉強したい」など、暮らしの間違いに気付き始め、見直しが始まったのです。
大阪の農村でも、農家女性たちの学習グループ(生活改善グループ)で話し合いが始まり、話し合いや学習活動の中から、今までより科学的な方法で健康によい味噌をつくろうという動きがあちこちの農村で起こりました。
愛子はこの時期、生活改良普及員として大阪の最北部にある山村、能勢町を担当していましたが、「家のおばあちゃんは、モミガラをいっぱい入れたふごの中で、お味噌のこうじをつくったはった」、「うちは、こたつにふとんをかぶせた中に入れてつくってたけど、こうじが赤くなったりしてうまいこといかなんだ」、そして「こうじ菌を付けた蒸し米を布袋に入れて、田んぼの真ん中に山にしてあったモミガラの中に入れてつくってたけど、どこに入れたか忘れんように棒を立てておいたら、犬がきておしっこしてしもて困ったことがあった」と話が弾み、グループの女性たちと大笑いしたことをおぼえています。
そして、こうじづくりに適した温度や時間。健康を考えた塩加減と材料の配合割合などを検討し、生活改善グループの実践の中からおいしいお味噌が生まれ、生活に定着していきました。
わが家でも、農家女性たちとの活動から学んだことを生かして、地域の女性たちといっしょに、お味噌を仕込んでいます。
今年は、老人大学卒業生の有志からも、味噌のつくり方を教えて欲しいという要望があり、愛子が講師を務めることになっています。
わが家は自家産の大豆を使いますが、味噌づくりに参加される方々のための大豆は、近江今津の農家から共同購入し、米こうじは大阪府茨木市の山間部にある農産物直売所「見山の郷」から、農家女性グループがつくっているものを仕入れます。塩は天然の塩に近いものを選び、塩分11%で仕込みます。
この2月に仕込んでも、秋にならないとでき上がらないのがお味噌です。
また、同じ材料を使って同じように仕込んでも、豆の煮方、塩の混ぜ合わせ方、保管する場所の条件によって少しずつ味が違ってくるのです。まさにお味噌は、長時間かけて人の技と風土が育てるのです。
味噌づくりは大変と思われるかもしれませんが、こうじが入手できさえすれば、ぜひつくってみてください。手前味噌の味は格別です。
昔は「こうじ屋」さんがあったのですが、今はよほどの農村に行かなければありません。インターネットで探して贈ってもらえるかもしれませんが、もし近くに農家の人たちが農産物直売所や朝市をやっておられたらたずねてみてください。きっと、手に入る方法を教えてくださるでしょう。
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1月15日更新
今年のお正月は、じつにおだやかに明けました。12月の厳しい冬がうそのような新春の光に、このおだやかさが続く一年でありますようにという思いが心をみたします。
1月1日付の朝日新聞に、いい写真を見つけました。それは、全紙を使った住宅会社の広告のページで、里山と棚田の新緑の風景です(写真/今森光彦)。
手前にはレンゲがピンクの花を一面に咲かせ、その向こうに田植えの準備が終わった田んぼが段を重ねて陽光をあびています。田水はきらめきながら青空とあたりの風景を映し、その周りを新緑の里山が囲みます。さらにその遠景に、逆光を受けて群青に染まった遠い山並みが、一番高い峰を薄い雲に隠しながら連なっていて、日本の風景を見事にとらえて美しいのです。
この写真には、『……「里山」の風景こそ、多くの日本人がイメージする「故郷」に違いありません。その風景には、自然環境と人間の暮らしがみごとに溶け合って存在しています。……』と、言葉が添えてありました。
そうです。農山村の風景が私たちをとらえてはなさないのは、ただ豊かな自然があるからではありません。気の遠くなるような年月の流れの中で、山野を切り拓いて田畑をつくり、川の流れに沿って道をつけ、山から得た材料で家を建てて村を築き、くらしの糧をも提供してくれる里山を整えて守り、風土にあった農業を営みつつ助け合ってくらしてきた人々の歴史が、自然と溶け合いその美しい風景を創り上げているからなのだと思います。
ずっと以前に、京都府美山(みやま)町(2006年1月1日より南丹市)でこんな話を聞きました。美山町といえば、わらぶき屋根の集落が残る美しい農村、そして、その美しさを大切にした村おこしで有名な町です。この美山町で村おこしが始まったきっかけは、「山が里に下りてきた」からだというのです。
経済の高度成長期、若い人たちが都市に流れ出していった農山村には、じいちゃん、ばあちゃん、母ちゃんだけが残されてほそぼそと山仕事や農業を続けていました。当時、働き手の中心をなくして衰退の一途をたどる農業は、「三ちゃん農業」と揶揄(やゆ)されたものでした。
まず、力仕事の多い林業が続けられなくなり、山が荒れていきました。農業も、手間の多くかかる山間の田んぼから米づくりが続けられなくなりました。そんな田んぼには、ススキが生えだし雑木が育って太くなり、開墾される前のような山にもどっていきます。山がだんだん里へと下りてきたのです。
先祖が汗水たらして植林し、下草を刈り、枝打ちをして守ってきた山が荒れ、ひと坪でも多く山を切り拓いて田畑をつくり、家族を養いたいと、腰がくの字に曲がるまで働きとおしてきた先祖の苦労が分かる人たちは、どんな思いでこのようすを眺めたのでしょう。そして、そんな思いもいつかはあきらめに変わっていったかもしれません。
しかし、豊かに流れる清流や町を囲んで連なる緑の山々、美しい集落のたたずまいと人々のつながりは、あきらめてしまうことを許さなかったのでしょう。人々は話し合いを始め、そして、その話し合いは熱を帯びて続けられていきました。その中から、少しずつ新しい取り組みが始まり、村おこしの活動に広がっていったのです。
田畑の整備から美しい農村集落の整備。安全な野菜づくりや農家がつくり続けてきた伝統的な加工品の商品化。そして、木津川(きづがわ)や淀川の源流である由良川(ゆらがわ)の水を守る取り組みまで活動は広がりました。この動きを知った都市の人たちが、自分たちのなくしてしまったものを求めてここを訪ね、大切なものを見つけました。
そして、ふるさとに帰るように何度も訪れるようになり、美山町は都市の人たちにも大切なところになったのです。
人々のたゆみない営みは、自然を生かし守ってきました。冒頭に紹介した一枚の写真は、これからもこんな美しい風景が大切にされ、人々が生き続けられる社会であってほしいというメッセ―ジを、私たちに伝えてくれたのです。
私たちの農園のある近江今津(おうみいまづ)は、写真家今森光彦さんが活動の拠点にされている湖西地方にあります。この写真の風景は、私たちの身近にあるのかもしれません。いつか見つけてみたいものです。
農園は暮れからの雪に覆われ、ツンとした空気の中で眠ったまま年を越しました。先日(1月6日)、孫のソリを引いて農園に入り、雪を掘ってダイコンとハクサイとニンジンを収穫したいと、野菜たちのようすを想像しながら出かけました。しかし、4日から襲ってきた寒波が夜ごとに雪を降らせ、農園は1m近い深雪の下で、野菜たちのようすを知る手だてはもちろん、農園に近づくこともできませんでした。
やっとたどりついた山の家も雪につつまれていました。
庭に一本だけある野生の柿の木が、熟した小さな実に雪帽子をのせて、幹の半分ほども埋まっています。ご近所に定住されている方のお話では、20頭を超えるサルたちと1頭のシカがいっしょにやってきて、まっ赤な実をいっぱい食べていったそうです。「サルとシカがいっしょにやってきたのは初めてです。仲良く食べているのでびっくりしました。きっと、シャーベットのようにおいしいのでしょう」といって笑っておられました。
このようすでは、雪の下の野菜たちといつ会えるのかわかりません。どんな姿になっているのか心配ですが、どんな味になっているのか楽しみでもあります。
さあ、冬をいっぱい味わったら、早く雪が融けて土づくりができる季節になってほしいものです。きっと、3月の声を聞けば、ジャガイモの植え付けから始まって、農園の仕事も忙しくなるでしょう。
今年も、農園で汗を流し、新しい挑戦もしていっぱい野菜をつくりましょう。そして、新鮮で自然な味を思いっきり楽しみましょう。
農園での体験やまわりの農家とのふれあい、そして、湖西の豊かな自然が、本当に大事なものを私たちの体にしみ込ませてくれるようで楽しみです。
《訂正》 |
ここでご紹介した写真家、今森光彦さんの著作『里山物語』にこのほど出会い、同じ写真を見つけて著者の文も拝読しました。
そこで、私がミゾソバだと思いこんだ花がレンゲであることが判りました。自分の好きなミゾソバだと思いこんでしまったようです。お詫びして訂正いたします。 |
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1月1日更新
山の家も農園も、12月初めから降り始めた雪が中旬頃から根雪になり、さらに22日以降、連日大雪にみまわれ、50pを越える雪の中です。雪国に暮らす人たちの大変さが身にしみる今年の冬です。
毎年雪の重さに耐えかねて枝が折れ、かわいそうな姿になってしまう山の家のコニファー類やヤマボウシは、12月12日に縄で縛ってやりました。その枝々も、積もった雪を必死で支えています。
その一方、初めての孫のために10年前に植えたモミの木と、青森の八戸市で生まれた2人の孫の誕生を祝って市からいただいたのに、団地ぐらしでは植えるところがなくて、はるばる送られてきたイチイの木は雪をしなやかに受け止め、寒い地方で進化してきた樹木なのだと改めて思い知らされています。
冬休みに入った孫たちと、急傾斜の屋根から滑り落ちてデッキに積もった雪で「かまくら」をつくりました。デッキから前庭にかけて、雪を固めた小さなスロープつくってソリ遊びも楽しみました。
農園は12月中頃から雪のふとんに覆われてしまいましたが、12月27日に大雪をかき分けてダイコン、ハクサイ、ニンジンをお正月用に収穫しました。真っ白な雪の中から現れる緑を保った野菜たちは、ハッとするほど目に鮮やかです。雪ふとんの中では温度が0℃に保たれ、水分もたっぷりあるので、野菜たちにとってはあんがい住みやすいのかもしれません。
収穫を終え、雪で濡れてしまった手袋をはずし思いっきりのびをしました。雪に煙る山々をくだり、広々とした雪原を渡ってくる凍てつくような風が、火照ったほほを刺します。寒いけれど清々しくて、自然のエネルギーが心を清め解放してくれるようです。
こんな豊かな自然からいただいた野菜たちで、今年もおいしいお正月を迎えています。たくあんやハクサイ漬も上手に漬かり、カブラも千枚漬にしました。ダイコンとニンジンは、干し柿といっしょに「なます」にし、雑煮にも入れました。ハクサイは子どもや孫たちが大好きなすき焼きに欠かせません。
ぜいたくではないけれど、こころ豊かに過ごせるお正月を迎えられてしあわせです。
「和雄と愛子の畑通信」を訪れてくださる皆様も、きっとよいお正月をお迎えのことでしょう。みなさまにとりまして、今年が幸多い年でありますように、心からお祈りしております。
昔から日本では、正月は五穀豊穣(ごこくほうじょう)と家内安全を願う一年でもっとも大切なお祭りとして、過ぎた年がよい年であっても悪い年であっても、「一年の計は元旦にあり」と心を新たにしたものです。
農家にとっては、一年を周期に営まれる農業の新たな始まりの日であり、農産物の作付け計画を練る時でもありました。
大阪の河内地方の農家では、12月に入ると秋の取り入れで散らかした農業用の納屋や屋敷内の掃除をし、農具の手入れをしてから、正月の準備にとりかかり、忙しい日々を過ごします。
12月28日に餅米を洗って水につけ、30日に餅つきをします(29日は「苦餅(にがもち)」といって餅の準備をすることを忌み嫌うそうです)。大きなお鏡餅をつくって農機具にもお供えし、柳の小枝にちぎり餅を花のようにたくさん付けた「もち花」もつくります。
これは正月の祝い飾りで、「もち花」をつくるのは子どもたちの仕事です。家族総出の餅つきも終わり、除夜の鐘の音とともにこの年も過ぎていきます。除夜の鐘を聞くと、村中の人たちが氏神さまやお寺にお参りし、新年のあいさつを交わします。
元旦の朝は、家族そろって屠蘇(とそ)と雑煮(ぞうに)で新年を祝い、今年の豊作と家内安全を心静かに祈ります。
2日には、まだ暗いうちから霜柱を踏みしめて田をめぐり、田ごとに一鍬ずつ鍬を入れて田の神さまにあいさつし、仕事始めとするところもあります。
4日は、なたね菜を入れた味噌味の「おみ」(雑炊)を炊き、この中に丸餅を入れて食べます。「福あかし」といって、これを食べると福がわくといわれています。
7日には厄よけのために、春の七草と丸餅を入れた味噌味の七草粥を食べるのです。(参考:「わがふるさと 暮らしと味」寝屋川市生活改善クラブ連合会編)
これはひと昔前までの、大阪の一地方の農家のお正月ですが、全国には、万物にやどる神々への感謝と一年の幸を願って、このようなお正月を過ごされている農家がたくさんあるのではないでしょうか。
昨年は、子どもたちを傷つける事件が続き、人の心の貧しさ、さびしさに心いたむことの多い年でした。社会のあらゆるところにあふれ出た矛盾が、抑えようのないほどに膨らみ、若者たちを押し潰し、そのはけぐちを子どもたちに向かわせているようにさえ思えます。
自然に対する畏敬と祈りの心が生きている農村の暮らしは、本当に大切なものを見失うことのない子どもたちを育て、土を耕し作物を育てる農の営みは強い体と心を培います。そして、多世代家族と村社会が、少し煩わしいけれど支え合って成り立つ「お互いさま」のくらしの楽しさや豊かさを教えてくれるのです。
今の社会の歪みを憂えるとき、ついこの間まで私たちが手にしていたこんなくらし方を、少しでも取り戻せたらと願うお正月です。
「一年の計は元旦にあり」です。私たちも、このお正月の間に昨年の反省をしっかりして、今年の作付け計画を考えます。
昨年はトマト、キュウリ、ナスなどの春夏野菜も、ダイコン、ハクサイ、キャベツなどの秋冬野菜も予想以上にうまくできました。また、貴重品のゴマや赤トウガラシにも挑戦し、無事に収穫できました。
今年は、スイカの新品種とメロン、イチゴの栽培に挑戦したいと思っていますし、昨年初めて栽培したショウガも少し多めにつくり、加工の勉強もするつもりです。
年が改まるというのはいいものですね。皆さんも大きな夢を描いてください。そして、計画は具体的にたて、着実に実践しましょう。
[和雄のひと言]
大阪府老人大学の2学期の講義も、12月9日の松竹梅の寄せ植え実習を最後に、無事終了しました。冬休みの宿題は、自分でつくった寄せ植えを自宅で管理してお正月にウメの花を咲かせ、証拠写真を撮ってくることにしました。
昨年は、暖冬で年を越す前に花が咲いてしまい、お正月にあわせて花を咲かせることができた学生さんは少数でした。さて、今年はどうなるでしょうか。
お天気の日には外に出して日に当て、寒い日には室内に取り込み、さらに、花を咲かせたい正月が近づいたら風呂場において温めたりと、きっと苦労されたに違いありません。3学期の始まる1月13日に、皆さんの苦労話が聞けるのを楽しみにしています。
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