|
|
|
12月15日更新
12月5日に収穫のため農園へ出かけました。
この日は大阪でも初氷が張り、わが家の一本だけのモミジが、ご近所の家々にまでまっ赤な葉を散らし、裸になった小枝を寒そうにふるわせていました。
「近江今津(おうみいまづ)はきっと雪ね」と覚悟して、雪道用のチェーンと防寒着を車に積み込んで出発。名神高速道路から湖西道路へは、紅葉が最後の輝きを見せて美しく、琵琶湖も青空を映して静かでした。
しかし、雪をいただいた比良山(ひらさん)が姿を見せる頃から雲行きと風の流れが変わり、近江今津に入ると雪粒がフロントガラスに吹きつけてきます。湖面が灰色に変わって白波さえ立ち始め、奥琵琶湖の冬の厳しさを思い知らされました。
さっそく農園に出て、吹きつける雪が頬を打つ中で、太さを増してみずみずしいダイコンを15本、丸ダイコン2個、ハクサイを10株、キャベツ3個、ニンジン3本とカブラ、コマツナ、シュンギク、ミズナを収穫します。
農園に置いてある大きな樽に溜まった水には氷が張っていて、それを割ってダイコンを洗う和雄は、「冷たい! 冷たい!」の連発。ついにはたまらず凍てた手を振り回し、あわてて防寒着のポケットにつっこみました。何とか洗い終えたダイコンと野菜たちを車に積み込み、逃げるように吹雪でかすむ農園から退散しました。
寒くて大変な収穫作業でしたが、生き生きと若緑の葉を伸ばしていたニンジンを抜いてみたら、素直に育ったやわらかそうなオレンジ色の根が姿を見せてくれたり、吹雪が急におさまったかと思うと、矢のような陽差しが薄く雪化粧した箱館山の姿を浮き上がらせてくれたり……。自然の豊かさ楽しさを十分に味わった半日でもありました。
この日を境に、それまで秋の名残を楽しんでいるように見えた山の家のまわりの林もあわてて葉の色を変え、一気に落葉して冬の姿を整えました。農園に残っているダイコンや外葉で包まれたハクサイが、箱館山から雪を含んで吹き下ろす風にふるえています。12月の末には、雪のふとんが農園を覆ってしまうでしょう。その頃になると、雪の下の野菜を食べに山から下りてきたシカが、雪面に一直線に足跡を残していきます。
シカに食べられる前に、お正月用のダイコン、ハクサイ、ニンジンを収穫し、側花蕾(そくからい)の生長が期待できるブロッコリーと、雪の下で甘みを増すというニンジンを少し残して寒さよけのネットをかぶせておきます。冬野菜の味を知っている野生のシカに食べられなければ、寒さの中でじっくり貯め込んだおいしさを、雪解けの3月初めには楽しめるでしょう。
漬物用のダイコンを11月23日に収穫し、20本ほど友人にお裾分けしたあと、残りの30本を大阪の家に持ち帰って物干しに干していました。曲げると丸を描けるほどに干し上がったのをみはからって、12月3日にたくあん漬にしました。40リットルの漬物用の樽に30本の干しダイコンと干し菜(干したダイコンの葉)がちょうど良い加減に入りました。
1ヵ月もすると食べられるようになるので、お正月にはいただけるでしょう。その後、だんだんとおいしくなっていきますが、気温が上がりすぎると酸味も強くなるので、3月中には食べ切るようにしたいと思っています。
[わが家のたくあん漬をご紹介]
20リットルの漬物用の樽の場合、干しダイコンが葉付きで10sほど漬かるので、生のダイコンが15sほど必要です。
干しダイコン(葉付き)10sに対して、ぬか1.5s、塩600g(ダイコンの6%)、昆布30p(刻む)、赤トウガラシ10本(乾。刻む)、カキやリンゴの干した皮(刻む)を適宜用意します。
(1) |
干しダイコンは、葉を付け根から切り落としておきます。切り取った葉(干し菜)は詰め物に使います。 |
(2) |
ぬか、塩、昆布、赤トウガラシ、干した果物の皮をいっしょに大きな器に入れてよく混ぜておきます。 |
(3) |
きれいに洗って日光に当てておいた樽に、(2)をふたにぎりほどふり、ダイコンをひと並べし、また(2)をふりダイコンを並べます。これを繰り返しながらきっちり詰めていきます。すき間ができたところには干し菜を丸めて詰め、最後に、残った干し菜をふたをするように並べ、その上に残った(2)を全部入れて落としぶたをします。
ぬかなどを混ぜ合わせた材料(2)は、上にいくほど多くなるように使いたいので、何段に漬け込めるかを考えて、最初に分けておきましょう。 |
(4) |
落としぶたの上にダイコンの重さの2倍の重石(おもし)をしっかりとのせます。 |
(5) |
漬け込んだら、日光と雨の当たらない風通しのよいところに置き、ホコリが入らないようにビニールなどで覆っておきます。1週間ほどして水が上がってきたら重石を半分に減らします。落としぶたの上に水が上がっていればよいのです。 |
2週間ほどで食べられますが、1ヵ月たつといっそうおいしくなります。
ぜひ一度、挑戦してみてください。
もうひとつ、冬の食卓に欠かせないのが白菜漬です。
この季節になると思い出すのは、子どもの頃に母のふるさとで、おばあちゃんが手を真っ赤にしながら樽から出してくれた白菜漬を、炊きたてのご飯とお味噌汁といっしょにいただいた朝ご飯です。
幼い日に覚えた歯に凍みるような冷たさとほんのりした甘みや食感が、いまも口の中に残っているから不思議です。この感覚が味わいたくて、私たちも毎年白菜漬をつくります。
ハクサイが収穫できるようになった11月の初めにも漬け込みましたが、もう一度、お正月用に少し多めに漬け込みます(漬け方は11月1日付「お便りバックナンバー」をご覧ください)。
ハクサイ漬は簡単に漬けられますし、あっさりした浅漬けから酸味の出てくるところまで、毎日少しずつ深まる味が楽しめます。1回につき、1週間から10日ぐらいで食べ切れる程度の量を漬けると、最後までおいしくいただけるでしょう。
たくあんやハクサイ漬のような、塩で野菜の水分を抜き、冬の気候の中でじっくり乳酸発酵させて醸し出される漬物の味は、日本の風土と人の技が創り上げてきた微妙な味です。この味を楽しめる日本人の舌を、若い人たちにも受け継いで欲しいと願うのは難しいことなのでしょうか。
最近市販されている漬物は、化学調味料や保存料、合成甘味料などを使った調味液漬けがほとんどです。この味に馴らされてしまった若い人たちの健康も心配ですが、日本人としての豊かな味覚や季節感が退化していくのも哀しいことです。
本当に大事なもの、本物の味を若い人たちに伝えたいと心から願っています。
[このページのトップへ]
12月1日更新
12月の声を聞くようになると、山の家を覆うようにそびえて枝を広げている2本のシラカシから、カサカサと音をたてて枯れ葉が舞い降ります。木々が葉を落とした林には陽射しがさし込み、まわりの風景がずいぶん明るくなりました。
もうすぐ冬枯れた木々の間から、雪をいただいた伊吹山を背景にキラキラ輝く琵琶湖の湖面が望めるようになるでしょう。
11月の終わりには、敷き詰められた落ち葉が朝霜にぬれる日がつづくようになり、もうすぐ初雪も降るでしょう。そして、箱舘山頂付近のお化粧がだんだん濃くなり、11月上旬から人工雪でゲレンデの準備が進められていたスキ−場も、いよいよ12月3日にオ−プンします。
スキー客を目当てに、三谷(みたに)集落の人たちが経営する「箱館そば」も同時に開店し、11月中旬までに収穫された新ソバが味わえるようになります。山の家の周辺も遅かった秋が足早に去り、いよいよ冬の舞台装置も整います。
農園の秋・冬野菜たちの収穫最盛期は過ぎましたが、ダイコン、ハクサイ、キャベツ、ミズナ、ニンジン、シュンギクや、頂花蕾をとったあとのブロッコリーが寒さに耐えてがんばっています。
夏からたっぷりと恵みをくれたピーマンやシシトウも、とうとう霜にあってダメになりましたが、霜にあう前にシシトウの葉を摘み取って大阪に持ち帰り、「シシトウの葉の佃煮が大好き」という友だちに提供し、おいしい佃煮のお裾分けをいただきました。
11月16日、どこまでもどこまでも透けて見えそうな青空に白い綿雲がふんわりと浮かび、秋一色の山々から、冷たさを増した風がザーと音をたてて吹き下ろす畑で、ダイズと赤トウガラシの収穫をしました。「おー寒い」とふたりで言いあいながら見上げた空高く、トンビがヒュルヒュルと鳴きながら大きな輪を描いています。あんな高いところで寒くないのでしょうか。それとも、絵にも表しきれないほどのみごとな風景の中で、寒さなど忘れて主役を演じているのかもしれません。
「風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」と謳った宮澤賢治の世界がここにはあります。ほんとうにしあわせな時間です。
収穫したダイズは、サヤだけにして大阪に持ち帰り、十分に乾燥させ脱粒(だつりゅう)したあと、昆布といっしょにうす味で煮ました。大粒のダイズの甘みとなめらかな食感は素朴で豊かな味わいです。あとのダイズは、来年2月に行う味噌づくりの材料です。
赤トウガラシは葉をむしってから、枝を束ねて物干しに干しました。むしった柔らかい葉は、友人に負けないように、さっそく佃煮にしました。以前、農家の女性から「葉トウガラシの佃煮はおいしいけれど、葉をむしるのがたいへん」と聞いていましたが、まったくそのとおり。和雄が根気よくむしった大ザルいっぱいの葉も、佃煮にするとわずかに小さなビン3本分しかありません。せいぜい大切に、少しずついただくことにしましょう。
農園の近くの冬枯れた田んぼに、丸太で組まれた干し場が立ち、ダイコンが何段にもぶら下げられて寒風に身を細めています。一番上の段には赤カブが干されて、初冬の風景にステキなアクセントです。
特産の赤カブは干したあとぬか漬にして、しっかりと重石(おもし)をかけて5月ごろまでおかれます。厳しい寒さの中でじっくりと発酵し、春の暖かさの中でさらに発酵が進んで酸味を出し、赤く染まった赤カブ漬ができあがります。
この赤カブは、昔、山の焼き畑でつくられていたので「山カブラ」と呼ばれていたそうです。昔からつくり続けられてきた赤カブ漬(山カブラの漬物)は、まさに人々の技と風土が育てた郷土の味です。
私たちも、50本ほど植えていたたくあん用のダイコンを11月23日に収穫し、きれいに洗って持ち帰り、大阪の家の物干しにぶら下げて干しています。もうすぐやわらかくなり、曲げると丸くなるところまで干しあがったら、ぬかをたっぷり入れて、少しうす味のたくあん漬にします。春先から、おいしく食べられるでしょう。
物干しいっぱいにぶら下がっていた秋の収穫物が、ラッカセイ、干し柿、赤トウガラシの順に乾燥が進み、ラッカセイは缶の中に、干し柿は冷蔵庫の中に収まりましたが、赤トウガラシはもう少し干しておきます。あとは、たくあんとハクサイを漬け込んだら、このシ−ズンの手仕事は終わります。
農園の仕事は、畑での野菜づくりだけでなく、収穫物を楽しむための作業が終わってやっと終了です。冬の間、農園は雪の下でゆっくりと眠りにつき、私たちは収穫物を楽しみながら、のんびりと来年の作付け計画を練る時間です。
[和雄のひと言]
大阪府老人大学の文化祭が、今年も11月19日・20日に開催されました。それぞれの専門科目での成果品の展示やクラブ活動の発表、バザーなど多彩な催しが行われ、おじいちゃん、おばあちゃんの活躍ぶりをひと目見ようと訪れる家族づれを中心に、たくさんの人でにぎわいまいた。
私の担当する園芸環境科は、日ごろの活動を写した写真パネル、実習でつくったハンギングバスケットや鉢植えの花、講義で学んだ園芸のポイントのパネル展示、そして漬物用の樽で見事に育った長ダイコンの展示、さらに学生さんが各家庭で丹誠こめてつくった野菜や花の展示も行いました。6つくらいのイモがひとつに固まり、日本カボチャのような形をした私のサツマイモ(11月1日付「お便りバックナンバー」の写真)も展示され、「こんなサツマイモ、はじめて見たわ」と訪れた人たちをビックリさせていました。
私がつくったジャンボカボチャ(9月1日付「お便りバックナンバー」の写真)の重さを当てる園芸クイズもなかなか好評で、持ち上げて孫の重さと比べる人や、真剣に頭を悩ませる人などでまわりに市が立ちました。このジャンボカボチャは、保育士として働いていたという老人大学の学生さんのお仲人で、ある保育園に嫁いでいきました。
早くから計画を練り、1週間前から準備をして、当日の2日間、思いっきり体を動かし、語り合い笑い合った文化祭も無事終わりました。
[このページのトップへ]
11月15日更新
やっと秋本番。山の家のまわりも秋色に染まり、雨が降ると黄色や赤の森のしずくが滴り落ちて、山全体が錦に染められていくようです。秋晴れの日には、その錦が光を受けて透明に輝き、さわやかな風がさざ波をたてて通り過ぎます。
農園では、ダイコン、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、ミズナなどが、それぞれの個性を主張しながら畝いっぱいに葉を広げています。
ダイコンはつややかな白い足をぐっと持ち上げ、ハクサイやキャベツは、甘そうなやわらかい葉を直径20pほどにもしっかりと巻いています。
カリフラワーは濃い緑の大きな葉にくるまれて、まだまだ小さいけれど真っ白な花蕾(からい)が姿を現し、秋の畑のヒロインです。
収穫するのが惜しいほどに美しい秋の農園ですが、一番おいしい時期を選びつつ、早く食べたいという思いも強くて、どれから収穫しようかと悩みながら、畝間を行ったりきたりしてしまいます。
秋は、何と豊かで輝きのある季節なのでしょう。
先日、孫たちと50株ほど残っていたサツマイモや少しだけ植えていたサトイモ、そしてラッカセイを収穫しました。
土の中からかわいい姿を現すラッカセイの収穫は、子供たちにとっては宝物探しのような楽しみです。「おばあちゃん、あかちゃんのピーナッツがまだついてるよ」と、とり残していた小さなラッカセイをむしってくれ、自分で引き抜いた株も、ていねいにひとつずつもぎとっています。ときどき飛び出すコオロギやテントウムシを追いかけたり、体も心もいっぱいにはじけた一日でした。
ラッカセイは、さっそく少し多めに塩を入れてゆでました。新鮮なラッカセイの塩ゆでは「おいしい」のひと言です。食べきれなかった塩ゆでラッカセイは冷凍にしておきます。調理していないラッカセイは、殻つきのままきれいに洗って十分に乾燥させて保存し、食べたいときに、少しずつオーブンや電子レンジで焼いていただきます。
今年のサツマイモは大豊作。イモがいくつも縦にくっついたような形をした大きなものがたくさんとれました。品種はベニアズマですが、こんな形のイモができたのは初めてです(11月1日付「お便りバックナンバー」の写真をご覧ください)。日本カボチャに似た変わった姿で、驚くほど大きいのです。老人大学の文化祭で、いちばん大きいイモを展示してもらうことにしました。
収穫したイモは全部大阪の家に持って帰りました。ご近所にお裾分けしたあと、きれいに洗ってから4〜5日陰干しし、ひとつずつ新聞紙に包んでダンボール箱に詰め、保存しています。寒い寒い日に「イモがゆ」を食べるのが楽しみです。
サトイモは、掘りたてを煮物や味噌汁や炊き込みご飯で楽しみます。残ったものは少し干してからダンボール箱に入れて保存し、早めに食べるようにしています。
サトイモの葉柄(ようへい)がズイキです。赤いズイキは煮物やあえ物にしますが、残った赤ズイキと青ズイキは30pくらいの長さに切って皮をむき、ちょっと水にさらしてからタコ糸に通して、風通しのよいところに干します。十分に乾燥させた干しズイキは、ポリ袋に入れて冷蔵庫の隅にしまっておき、使いたいときに水につけてもどします。
大阪の農家では、カンピョウのように少し濃いめの味に煮て、巻き寿司に入れたり、マメと煮たりします。
わが家の物干しには、ラッカセイを入れた網かごとタコ糸に通したズイキ、それに小さな干し柿が並んで秋風にゆれています。
干し柿は孫たちからの頼まれものです。山の家に鈴なりになっている野生のカキをせがまれていっしょにとりました。「これは渋柿だよ」と言うと「おばあちゃん、干し柿にして」と頼まれたのです。夕日に映えているかわいい干し柿を写真に撮って、孫たちにメールで送りました。
こんな些細なことが、ものを大切にすることを子供たちに伝えたり、ほんの少し「手でつむぐ暮らし」の豊かさを実感させてくれるように思えて、楽しみながら時間と手をかけています。
11月中に済ませたい次の大仕事は、煮豆や味噌づくりに使うダイズの収穫です。農園のそばの畑でつくられていたアズキも先日から収穫が始まり、丸太を組み合わせてつくられた干し場に干されています。6月にタネをまいた私たちのダイズもサヤが茶色くなり、葉が枯れてきたので、この16日に収穫します。
つい先日、今年2月に仕込んだ新味噌の蓋を開けました。自分たちでつくった大粒のダイズと、「見山(みやま)の郷」(大阪府茨木市、山間部の農村)の女性たちがつくってくれた糀(こうじ)、それにちょっと特別な塩で毎年仕込む「手前味噌」は、格別なおいしさです。今年も、地域の女性グループの人たちといっしょに味噌の仕込みをする予定にしています。
この味噌づくりに、昨年飛び入りで参加された老人大学学生の男性から、「最高の味噌ができました。今度も仲間といっしょにつくらせてください」とお便りがありましたので、きっとにぎやかな味噌づくりの会になることでしょう。
ダイズの収穫と調整作業は大変ですが、よい味噌を仕込むためには大切な仕事です。転作作物としてダイズを大量に栽培している産地では、これらの作業はほとんど機械化されています。でも、自家用のマメ類をつくる農家では、収穫後の作業はお年寄りの仕事です。日当たりの良い縁側で、箕(み)にマメを入れて選別しているおばあさんの姿を思い出す方もあるでしょう。
私たち夫婦も、ダイズの脱粒(だつりゅう)や選別をしながら「これは、いかにも年寄り仕事だね」と笑い合っています。でも、農家のお年寄りにとっては、ちょっと手間のかかるこんな仕事も、家族のために役立つ自分の仕事であり、生き甲斐なのではないでしょうか。
何年も前のことですが、岩手県の雫石(しずくいし)町でお目にかかったお年寄りが、「生涯現役といわれて喜んでいたが、これは一生働けということだな」と大笑いしながらおっしゃったのを思い出します。この方は、地域のお年寄りたちが集まって開いておられる「朝市」のリーダーでした。自分たちでつくった野菜や果物を持ち寄って「朝市」を開き、地域を元気にしているお年寄りたちは、きっと、全国に数えきれないくらいおられることでしょう。
「農家っていいな。農村(地域)っていいな」と思いながら、私たちも農園のある暮らしを楽しんでいる秋です。
[このページのトップへ]
11月1日更新
暖秋の今年、11月の声を聞くようになってやっと秋の色が山の家を囲む林を彩り始め、芝生の真ん中にある1本の野生のカキの小さな実が、赤く熟れてポトポトと落ちだしました。
この時期に毎年やってくる20頭ほどのサルの群れが現れ、私たちの様子をうかがいながらカキを拾ってはおいしそうに食べています。
若いサルが木に駆け上り、枝を揺すって実を落とすと、下ではボスザルやあかちゃんをだっこした母さんザルたちが、その実を拾って食べます。子ザルたちは、実をくわえながら追いかけっこに余念がありません。
もうすぐカキの葉も赤や黄に染まり、この林は一年でもっとも美しい季節を迎えます。12月ともなると、ときに箱館山を雪がうっすらとおおい、厳しい冬が近づきます。サルたちにとっても、今が一番いい季節なのかもしれません。
農園では、夏の初めに植えたラッカセイ、サトイモ、ダイズが、暑さの中でしっかり育ち、いまだに葉に緑を残して養分を蓄える作業を続けています。今月中旬には収穫できるでしょう。
9月の初めに植えたダイコン、ハクサイ、キャベツなどの秋・冬野菜たちは見事に育ち、収穫の季節です。あんなに小さいタネだったダイコンは、60日間土のふとんに抱かれてじつにおおらかに育ち、「早く食べてよ」と言っているようです。さっそく引き抜いて鶏のつくねと炊き合わせましょう。
ハクサイはまだ少し小さめですが、3株ほど収穫して「ハクサイ漬」にし、新鮮な歯ざわりと甘みを楽しみたいと思っています。
四つ割りか六つ割りにしたハクサイを一日干してから、12%の塩水に昆布と赤トウガラシを入れて漬け込みます。2日もすると浅漬けがいただけます。その浅漬けの水をきって、ぬかと塩少々で漬け直ししっかり重石(おもし)をしておくと、おいしいぬか漬けができ酸味が出るまで楽しめます。
もうしばらくして、ハクサイがひと抱えもあるくらいに育ったら、大きな樽に漬けましょう。
キャベツももう少しで収穫できそうです。10月17日に掘り起こしておいたツクネイモと収穫したてのキャベツで、孫たちの大好きなお好み焼きをつくります。
農園で初めて収穫したキャベツでつくったお好み焼きが、まだ小さかった孫たちの好物になったのは3年前です。「おじいちゃんのキャベツ、まだ大きくならないの」と、今年も催促の電話が入っています。
今年はイノシシにも掘り起こされずに育ってくれたサツマイモが、畑に60株ほど残っていたので10月末に収穫し、息子たち家族が住んでいる青森の八戸と、息子の妻の実家のある北海道福島町とに送りました。
福島町では、津軽海峡を渡ってくる風にもう雪が混じり始め、早くからストーブを焚いているとのことです。スト−ブの上に並べて焼いた芋が、男のロマンを求めてまぐろ釣りに出かけ、がっかりして戻ってきたお父さんの冷えた体を温めてくれていると、北国からのたよりにありました。
私たちの農園の隣では、湖国特産の赤カブが直径10p以上に育ち、出荷が始まっています。収穫作業にこられた親父さんが、「なんぼでも取って食べてや」と言ってくださったので、さっそく30個ほどいただき、漬物好きの友だちと分けて酢漬けにしました。
葉を取り除いたカブをきれいに洗い、2〜3oほどの薄切りにして4%の塩で2日間漬けてから水をきり、たっぷりの昆布の細切りと赤トウガラシの輪切りを少し入れた甘酢に漬け込みます。2日もすれば食べられますが、これをポリ袋に入れて冷蔵庫に入れておくと1ヵ月でもおいしくいただけます。昆布の味がしっかりしみて真っ赤に染まった赤カブの酢漬けは秋の楽しみのひとつです。
それにしても、この季節の農作業は何と楽で、楽しいことでしょう。暑すぎもせず寒すぎもせず、夏とちがって野菜たちもゆっくり育つので、必要なときに必要な分だけ収穫すればいいのですからのんびりしたものです。
先日もお弁当を持って農園に出かけ、周りの風景に溶け込みながら食べました。野菜畑にはモンシロチョウが飛び交い、少し高いところには赤トンボが群れ、高い高い青空にはトンビがシュルシュル鳴きながら輪を描き、最高にぜいたくな時間でした。
[和雄のひと言]
8月11日付の朝日新聞で、徳永進さんの「野の花カルテ2−ひいきメロン」を読みました。大要は次のとおりです。
『91歳のじいさんは総胆管がんで黄疸出現。奥さんはアルツハイマー病。このじいさんが奥さんの手を引いてメロンづくり。メロン畑ではがんもアルツハイマーも消えている。2ヵ月たってメロンが送られてきた。「やったー」と思わずメロンにかぶりついた。「うまい! 日本一!」。ところが、このじいさんを知らない職員や入院患者の中では、「少し硬い」「甘みがたらん」という感想。スーパーにはもっと高級なメロンも並んでいる。でも、この話のような背景は見えない。じいさんのメロンは「おいしい」という味覚刺激が、舌がメロンに触れる前に走ったのだろう。口にする前に反応する刺激系があることを、ぼくらは忘れている。食べる前の物語をこそ育てるべきなのに』
私はこの記事に大変感銘を受けました。自分でつくった野菜には、生長過程でのさまざまな物語や風景が背景にあり、これがおいしさを上乗せしてくれるから「自分でつくった野菜は最高においしい」と思うのです。「自産自消は最高のぜいたく」であるゆえんはここにあります。
昨年の春、老人大学の講義で「アサガオをつくるのならゴーヤをつくってみてください」とお話ししたら、多数の学生さんが実践され、うれしい感想をいっぱいいただいたと以前に書いたことがありましたが、来年の春には「ゴーヤよりもっと簡単につくれるツクネイモをゴーヤの横に植えてみませんか」と提案してみたいと思っています。
ツクネイモは、4月、桜の咲く頃にタネイモを植え付け、つるが出てくれば支柱を立てて伸ばしてやり、あとは収穫を待つだけです。栄養価も高く、とろろ汁や酢の物はもちろん、おいしいだし汁でうす味に煮付けてもよい、最高にぜいたくな食材です。買うと高価なものですから、差し上げてもきっと喜んでいただけるはず。プランターでは無理ですが、畑がなくても庭先に植えてみてください。自産自消のぜいたくを味わえるかもしれません。
[このページのトップへ]
10月15日更新
先日、秋・冬野菜たちの生長が気になって農園へ出かけました。京都と近江の境に連なる比良(ひら)連峰の中腹を走る湖西道路を通ると、眼下に広がる琵琶湖は、いつもその季節を見事に装い、期待に応えてくれます。
抜けるような青空を映した湖面に、陽光が無数の光の乱舞をつくりだす秋の琵琶湖はことにステキです。とくに、海のような広がりを見せる奥琵琶湖を伊吹山(いぶきやま)を頂点にした湖北の山々が囲み、竹生島(ちくぶじま)がアクセントをつける風景は古代につながる幽玄の世界です。11月ともなれば、錦に染まる山々が湖面に映えてさらに美しさを増すことでしょう。
山の家を囲む林も秋色に染まり始めました。自生のシバグリのイガがはじけてかわいい実を落とし、ミズヒキソウの濃い紅色とツユクサの鮮やかな紫色がこの実をかくします。秋の草花たちをかき分けて、孫たちとクリを拾い集め、ついでにいろんなドングリも拾いました。
「おばあちゃん、お帽子かぶった小さいドングリあげる」と、かわいい手から若草色のドングリをひとつもらいました。
10月も半ばとなればクリの収穫も終わりでしょうか。大阪の最北端にある能勢(のせ)町は「能勢栗」の産地です。この能勢町を普及員として担当していたときに、農家の女性からクリのゆで方を教わりました。童謡「里の秋」を思い出すような山里、能勢の風景とともに、今でも忘れずこの方法でゆでたクリを楽しんでいます。
昔は、かまどにのせた平鍋でたくさんのクリを一度にゆでたそうです。たっぷりの水と少し多めの塩を入れ、沸騰してから弱火にして1時間、しっかりとゆで、火を止めてからさらに30分蒸らしておきます。こうすると塩もよく浸み、鬼皮も柔らかくなって手でむけるようになります。鬼皮も渋皮もくるっとむけたゆで栗を、大きく口を開けてひと口で食べるおいしさは格別です。
わが家では、能勢町の農家から送っていただいたクリを一晩水に浸けて、虫を殺してからビニール袋に入れて冷蔵庫に保存し、一度に食べる分ずつこの方法で塩ゆでして、秋の夜長にひとつずつむきながら楽しみます。また、お正月の栗きんとん用のクリは、少しだけ冷凍にしておきます。
もうひとつ、農家の女性から子ども時代の思い出とともに教わったことがあります。それは、秋の運動会には必ず持たせてもらった能勢町ならではのおやつです。
クリをゆでている鍋に、クリがゆで終わる頃を見計らって、畦豆(あぜまめ=大豆)の若サヤを入れていっしょにゆでるのです。30分蒸らしたあとで引き上げると、豆のサヤは黒っぽくなっているけれど味は格別、クリの味もよくなるというのですから不思議です。科学的な裏付けはわかりませんが、きっとクリの渋がよい作用をしてくれるのでしょう。
「クリとエダマメをいっしょにゆでるとおいしい」という体験から出た知恵と技は、今も生きて受け継がれています。今年の運動会でも、いっしょにゆでたクリとエダマメが、子どもたちの秋の思い出においしさを付け加えていることでしょう。
農園の周りは稲刈りがすっかり終り、田畑に出ている人も少なく静かです。見上げる空はどこまでも高く、箱館山から吹く風が耳元でヒューと鳴って通り過ぎていきます。
収穫が間近になったソバは、株もとから褐色の実を結び始めていますが、先端にかけてはまだまだ花をいっぱいに付けて秋風にゆれています。ときどき、写真を撮っている老夫婦やハイキングの家族連れが訪れ、風景が和みます。
私たちの農園の野菜たちもしっかり生長を続けています。ダイコンもよく育ち、小学校5、6年生といったところでしょうか。ハクサイ、キャベツは結球し始め、ブロッコリーやカリフラワーは軸を太らせて大きな葉を畝いっぱいに広げ、花蕾を付ける準備を急いでいます。
9月8日にタネまきした軟弱野菜たちも収穫適期を迎えています。
大阪シロナとコマツナは、油揚げと煮浸しにしました。親指の太さほどに赤紫の根を太らせたヒノナは浅漬けにして独特の香りを味わい、朝漬けにした根の部分を輪切りにして、甘酢に漬けてさくら漬もつくりました。赤紫の色素が酢に出会うと美しい桜色に染まり、味わいもさわやかです。
また10月1日には、お正月用にと軟弱野菜の2度目のタネまきをしました。
先の野菜たちの収穫が終わる頃、少しずつ食べられるように育ってくれるといいなあと思っています。
自然が育ててくれた秋の野菜たちは、それぞれに美しくおいしくて傑作ぞろいです。昨年は、畑から切り取ったキャベツの存在感に圧倒されて、水彩画にしました。習い始めたばかりの下手な絵でも、取れたての野菜の勢いが出ていると先生にほめていただき、また書きたくなりました。今年は、思いっきり見事に育ったハクサイとダイコンに、彩りのよいヒノナを添えて描いてみたいと思っています。
[このページのトップへ]
10月1日更新
箱館山から下りてくる秋風のさわやかさに思わず大きく伸びをしました。無限に広がる真っ青な空から、体中にエネルギーが流れ込んできて、若返ったように元気になるから不思議です。
お米の収穫が終わり、赤トンボが飛び交う田んぼを見渡していると、あの暑かった夏がうそみたいです。でも、あの暑い暑い夏があったから、秋がこんなに嬉しいのでしょうか。
農家のお話では、「今年のお米は、台風の襲来もなく満足できる収穫だった」とのこと、多少なりとも農業に関係している私たちもひと安心です。でも早速、新米の安値と過剰米対策の新聞記事が目に飛び込んできます。豊作を心から喜ぶことができ、農家のご苦労が報われるようになってほしいものです。
私たちの農園から500mくらい離れたところに、集団転作でつくられているソバ畑があります。小さな白い花がじゅうたんのように広がり、ところどころに赤ソバの赤い花がくっきりとモザイク模様をつくって美しい秋の風景です。
8月のお盆頃にまかれたソバがもう花を咲かせ、10月末には収穫できます。
排水さえよい土地なら、あまり肥料を与えなくてもよく育ち、短期間で成熟してくれます。このため、山間部の荒れた土地でも栽培でき、貧しい山村の食を支えてきた作物だったのです。
健康志向の強い現代になってその価値が見直され、米どころの近江今津(おうみいまづ)の豊かな農地でも栽培されるようになり、「箱館そば」として町おこしの一翼を担っています。
私たちの山の家の近くでは、三谷(みたに)集落の農家が集まって営業するソバ専門のお店「箱館そば」がスキーシーズンだけオープンし、賑わいをみせます。また、市立の運動公園内にある農業体験施設では、ソバ打ち体験ができ、食堂でもソバを味わうことができます。
9月24日、少し早かったのですが孫たちとサツマイモの初収穫をしました。伸び広がっているイモ蔓を刈り取り、3人の孫たちが一株づつ掘りました。「ベニアズマ」の名のとおり、紅色のイモが見えると「あったぞ」と大喜び、イモが大きすぎて最後まで掘り上げられず、お母さんに手伝ってもらっても、「これは僕が掘ったのだ、大きいぞ」と大いばりです。畑じゅうに子供たちの歓声が広がりました。
昨年は、イノシシに農園を荒らされ、半分程度しか収穫できなかったのですが、今年は集落の皆さんの努力で「けもの道」が封鎖されました。また、農園をお借りしている農家が、農園の周辺にネットを張ってくださったので、150株の苗がすべて順調に育ちました。10月に入ったら友達を誘って、いも掘りを楽しんでもらおうと思っています。
5月の末に初めて植えたトウガラシが、夏の間に緑色の小さな実をいっぱい付けていました。空に向かってお尻をツンと突き上げるような形で実を付けるためか、「空向きとうがらし」というところもあるようです。この実がひとつずつ赤くなり、9月の終わり頃にほとんどの実が真っ赤になりました。
4ヵ月ほどもかかってやっと収穫ですが、乾燥させて湿気がまわらないように保存すれば何年も使えます。今年の冬の鍋料理の味が、ピリッとひときわよくなるでしょうし、ハクサイ漬やたくあん漬にも役立ってくれることでしょう。トウガラシの辛みが大好きな友だちにも、「あげるよ」と約束済みです。
9月8日にタネをまいたダイコンも、2度の間引きでやっと1本ずつになりました。柔らかそうな葉っぱを6〜7枚付けて、ちょうど小学校1年生といったところでしょうか。このダイコンが11月の初め頃になると、養分も水分もいっぱいに吸って、収穫できるところまで大きく育つのですから楽しみです。
同じ日に植え付けたハクサイ、キャベツ、カリフラワー、ブロッコリーなどの秋・冬野菜たちも葉の数を増やして大きくなっています。ハクサイやキャベツは今月の中頃から結球を始めるでしょう。
また、同時にまいた軟弱野菜たちは収穫できるようになり、少し若いミブナを取って、さっそく一夜漬けにしていただきました。
農園の中でひときわ大きく育っているのがダイズです。このダイズは、大阪府茨木市の山間部にある農村、見山(みやま)地域で昔から栽培されてきた大粒のダイズで、煮豆にするとそのおいしいこと。
収量が多くないし収穫時期も遅いので、販売用には向かないのですが、自家用の味噌や煮豆用に欠かせないものとして細々と栽培されてきたのです。最近ではそのおいしさが見直されて、茨木市内の小学校の給食用にもつくられ、この煮豆を残す子どもはほとんどいないと聞いています。わが家では毎年、このダイズで自慢の味噌を造っています。
晩生のこのダイズもサヤのなかの実が太り始め、10月の中旬には若サヤを収穫して枝豆として味わえるようになります。最近のように、7月から収穫できるエダマメの早生品種がなかった頃は、田んぼの畦に植えたダイズ(畦豆=あぜまめ)を若サヤで収穫して、塩ゆでにして食べるのが枝豆でした。これも秋の味覚です。
食欲の秋は、マツタケやクリやカキだけではなく、畑の豊かな実りも味わえるうれしい季節です。体も心も満たされるようなこの季節を深く味わって過ごしたいものです。
[和雄のひと言]
私が講義に行っている大阪府老人大学の学生は、畑や市民農園を借りて野菜づくりをしている人ばかりではありません。マンション住まいや庭の小さい方々もたくさんいて、プランターなどで野菜や花づくりを楽しんでおられます。
しかし、プランターや発泡スチロールでは深さが足りず、長ダイコンを栽培することはできません。そこで、今年初めて老人大学内の空き地で、漬物用の古い樽を活用して長ダイコンの栽培に挑戦してもらうことにしました。
学生が持参してくれたタネを品種ごとに1樽にまき、合計9樽に9品種(耐病総太り、耐病宮重、聖護院、和歌山ダイコン、赤ダイコンなど)をまきました。きっと、よい品種比較の試験ができると楽しみです。
週1回の講義のある日だけの手入れで、しかも畑で栽培するのに比べて水管理や肥料の与え方など難しいこともありますが、うまくいけば、11月19〜20日に開催される老人大学の文化祭に展示できるのではないかと、淡い期待を持っています。
[このページのトップへ]
9月15日更新
9月1日、秋・冬野菜たちのための圃場(ほじょう)の準備に農園に出かけたときには、広々とした田んぼ一面が黄金色に色づき、「コシヒカリ」の刈り取りが始まっていました。今ではすっかり収穫が終わって株田になり、お盆明けに収穫された早場米の田んぼは、切り株から「ひこばえ」が伸び出して薄緑に染まっています。
時の移ろいに遅れないよう、9月8日にダイコンのタネまきと、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの苗の植え付けをしました。
まだまだ収穫が期待できるナスとピーマンを残して、夏野菜のあとかたづけをしていたら、取り忘れていた小さいカボチャがひとつ見つかりました。おそくに受精したのでしょうが、小さいながらしっかりと固く充実しています。夏の忘れ物、きっとおいしい煮物になるでしょう。
先日の農業新聞に「国産のゴマは1%!」という記事がでていました。「うちでつくったゴマは香りがちがう」という農家のおばあさんの言葉に触発されて、私たちも昨年少しだけ試作し、その香りのよさに驚きました。
大事に少しずつゴマ和えなどで楽しみましたが、その味が忘れられずに今年は多めにタネをまきました。台風にも倒されず、虫に食べられながらもしっかり太った殻をたくさん付けてくれました。
ゴマは株元から切り取って大阪の家に持ち帰り、座敷にビニールシートを広げて干しています。広い庭のないわが家では座敷が農家の庭代わり。大きな大きなスズメガの幼虫が3匹這い回り、小さないろんな虫たちが逃げ場を求めて障子にくっついて大変な騒ぎでしたが、ようやく乾燥が進み、はじけた殻からはビニールシートに広げた新聞紙いっぱいにゴマがこぼれています。
残ったゴマを殻から出し、枯れ葉やゴミをていねいに取り除き、水洗いして乾燥させると出来上がりですが、これもなかなか大変な作業です。でも、今年はきっと茶筒に5本分くらいはあるかなと楽しみにしています。
40年も前には、この季節の農家の軒先や庭にはゴマの木がよく干してありました。ゴマを取ったあとの乾いたゴマ木は、かまどや風呂の薪として重宝するという話も聞いたものです。つつましく暮らしていた時代でしたが、本当に安全でおいしいものが食べられる豊かさがあったのですね。
そんな頃の素朴なおいしさを、今年は少し多めに味わえそうです。
先日、農園をお借りしている農家から、早場米「ハナエチゼン」の新米をいただきました。早速精米し、少し水を少なめにして炊きあげました。炊いているときから香りのよさを楽しみ、歯ざわりとさわやかな甘みをじっくりといただきました。こんなときは本当にしあわせです。
私たちの子どもの頃は、一粒のご飯粒でも残せば叱られたものです。そんなとき「農家の人たちが八十八回も手をかけて育ててくださっているんだから、無駄にしてはいけないよ」というのが母の口癖でした。大切なものだから、「お」や「さん」をつけて「お米さん」と言うのかなと子ども心に思ったものです。
愛子が生活改良普及員として長年担当していた、大阪府茨木市の山間部、見山(みやま)地域に「車作(くるまつくり)」という集落があります。この集落は茨木市の最高峰(標高600m)竜王山の中腹に、民家と農地が雛壇のように並んでいる美しい農村です。しかし、昔から農業用水がなく、米づくりのできない貧しい村でした。
「水が欲しい」「米づくりがしたい」という村人たちの積年の願いを実現するために、畑中権内(はたなか・ごんない)さんという庄屋が領主に願い出て、牢に繋がれながらも必死で訴え、竜王山の裏側を流れる小さな川、音羽川から一升桝の大きさの枠を通るだけの水を与えるという許しを得ることができたそうです。権内さんの指導のもと、日が暮れてから松明(たいまつ)を持った村人たちが山に並び、水路を付けるための測量を行い、立派な水路を完成させました。
この水路は今でも「権内水路」と呼ばれて大切にされ、権内さんの知恵で、川底に伏せるように置かれた一升桝の取水口から、豊かな水を「車作」の田畑に送っています。春には「権内まつり」が行われ、権内さんへの思いは今でも村人たちに受け継がれています。
愛知用水などの大事業だけでなく、全国の小さな集落ごとに、その地の米づくりにかけた人々の願いと苦労話が大切に語り継がれ、たくさんの権内さんがお祀りされていることでしょう。
このように、豊かな四季の変化を生かし、先祖たちの努力によって行われてきた稲作は、水田という栽培方法で何千年も私たちの暮らしを支えてきました。その歴史の中で日本独特の文化が築かれてきたのです。これからも日本の農業が、お米づくりが大切にされつづけることが、私たちのくらしの豊かさを保障してくれるように思えてなりません。
[このページのトップへ]
9月1日更新
お盆の頃からときどき雷を伴った大きな雨が降るようになって、このところめっきり朝夕が涼しくなりました。農園では夏野菜たちの収穫がほぼ終わり、収穫期間の長いピーマンやシシトウ、そして、夏剪定をしたナスが残っているだけです。
農園のまわりの田んぼでは、早生のハナエチゼンが黄金色の見事な穂を垂れ、9月中頃から収穫するキヌヒカリやコシヒカリは穂が垂れかけていますがまだまだ緑色です。
そんな広々とした水田風景の中を早場米の収穫にコンバインがエンジン音を響かせて走りまわり、かいがいしく働く農家の姿があちこちに見られます。ここにはひと足早い収穫の秋があります。
私たちの農園の今年の夏野菜は、6月の低温と少雨で少し生長が遅れたものの、7月に入ってからの適度な雨と梅雨明けからの高温で見事に育ってくれました。栽培が少し難しくて「毎年勉強だな」と思っているトマトも、今年は赤く充実した実をたくさん収穫することができました。キュウリ、ナス、ニンジンも思った以上に収穫があり、トウモロコシやエダマメはほぼ無農薬で栽培することができました。
息子や娘たち家族はもちろん、ご近所のみなさんにも食べていただき「おいしかった」と大好評で、今年は少し鼻を高くさせてもらえたよい年になりました。
青森に暮らす孫たちに送ると、野菜よりも宅配料のほうが高くつくのですが、「おじいちゃん、おいしかったよ」という電話の声が聞きたくて、せっせと送り、息子の連れ合いから「いつからお父さん、お母さんは農家になったの」と笑われる始末です。
ゴマも殻が黄色くなり始め、まもなく収穫できそうですが、8月の初め頃には葉のあちこちが丸坊主になり、7cmくらいもある丸々と太った黄緑色のムシがついていました。まるでカブトムシの幼虫のようです。きっと夜にバリバリ音をたてて葉を食べていたのでしょう。ゴマの茎を揺すってもびくともしません。仕方なく棒で地面に落として足で踏みつぶしましたが、あまりにも大きいムシなので気持ちのよいものではありませんでした。資料で調べてみると「シモフリスズメガ」の幼虫だということが判りました。
よく農園にきてくれる田舎育ちの友人にこの話をすると、子どもの頃、真夏の畑でゴマにつくこの幼虫を捕るように親に言いつけられ、地面に落として足で踏みつぶすと緑色の汁が出て気持が悪かったこと、そこでひと工夫して缶に集めたムシを汲み取り式の便所に投げ込んだものだと話し、「ヘー、あの虫はシモフリスズメガというのか」と懐かしそうに笑いました。
9月10日頃には、ダイコンのタネまきと、ハクサイ、キャベツ、カリフラワー、ブロッコリーの苗の植え付けをします。抜けるような青空と、涼しい風に誘われて農園通いの回数も増やし、秋・冬野菜の栽培を楽しみたいと胸がふくらんできます。
小さな一粒のタネが2ヵ月もすると、みずみずしくて太いダイコンに育つのですからじつに嬉しい驚きです。この取れたてのダイコンは、さいころに切って醤油をまぶすだけでもおいしく、体の芯までしみていくようなさわやかな甘みが忘れられません。
農園でとれたキャベツのお好み焼きや、大きく育ったカリフラワーのバターかけが大好きな孫たちのためにも、さあ、農作業に励みましょう。
[和雄のひと言]
先日、大阪府堺市にある「府民いきがい農園」の講演会に呼ばれて「私の野菜づくり」と題してお話をしました。場所は泉北ニュータウンのそばの圃場整備された農地の一角です。
「府民いきがい農園」というのは、大阪府と大阪府みどり公社、地元の営農組合が遊休農地の活用と、農業の担い手育成や農業の理解者を増やすことを目的に開いている貸農園のことで、1区画300m2の大規模区画(1年間の利用料6万円)になっています。この農園は、堺市(17区画)と岸和田市(17区画)と富田林市(10区画)に開設されていて、これまでの小さい区画の貸農園に飽き足りない人たちからの希望が多く、好評だとのことでした。
いま、いわゆる団塊の世代の定年後のライフスタイルが新聞や雑誌で大きく取り沙汰されていますが、このような大規模な貸農園が大阪府下すべての市町村に実現し、園芸を楽しむ府民がもっと増えればいいなあと思いました。
堺市のこの地域は、かつて私が農業改良普及員として担当した地域だったので、そのときにお世話になった農家や仕事仲間も顔を見せてくれて、懐かしい会合になりました。
[このページのトップへ]
8月15日更新
小川の土手や道沿いにコスモスの花が並んで風にゆれ、ゆったりとこうべをたれて色づいた早生の田んぼでは、稲刈りの準備が始まっています。まだまだ空には入道雲が勢いを見せているのに、ときどき秋の雲が現れて、爽やかな秋への期待を高めてくれるようになりました。
7月24日にやってきた台風7号の風と雨が、箱館山から力いっぱいに吹き下ろし、収穫の盛りを迎えていた農園のキュウリ、トマト、ゴーヤ、サンドマメ(三度豆)、モロッコインゲンのネットを支柱ごと、山と反対側に押し倒していきました。
風雨の中、二人で倒されようとする支柱を補強しようとしましたが、空しい抵抗であることをすぐに思い知らされました。
台風一過、翌朝には青空がもどり、台風の影響を残した涼しい風が吹いていました。農園に出てみると、あちらこちらの畑に人々が出て、いためつけられた野菜たちの手当てをしています。
幸い稲にはほとんど影響がなく、台風の最中には大波のように荒れていたのに、今はしっかりと背筋を伸ばして何事もなかったように水田を埋め尽くして並んでいます。
さあ、私たちの農園もしっかり手当てをしましょう。支柱ごと倒れているネットは真っ直ぐに起こして少し太い杭を打ち込みました。折れてしまったキュウリやトマトの枝は取り除き、ネットからはずれたキュウリやゴーヤのつるはネットにくくりました。
大きくなっていたトマトが青いままでたくさんちぎれ、泥まみれになってしまいましたが、収穫適期になっていたトウモロコシは、風下側の腰高さの位置に、竹を横に渡してしっかりと支えておいたので、たいした被害も受けずに、ほとんど(150本)収穫することができました。
かわいい緑色の殻を縦に並べてひょろ長く伸びていたゴマのことも心配だったのですが、これも30cmほどの高さに畝の周りに張っておいたひものおかげで倒されずにすみました。
その後、夏野菜たちはしっかり回復し、台風の傷跡もありません。野菜たちの生命力には感服させられます。
先日、蒸れるような暑さの中、農園でお盆にお供えする野菜を収穫しました。真夏の陽差しが焼けつくように肌を刺し、首に巻いたタオルが汗を吸ってすぐに重くなりました。この日は最高気温36℃まで上がったそうです。
隣の畑では、おばあさんが1枚のゴザをマントのように背中に乗せて、せっせと野菜の手入れをしておられました。「暑いですね」と声をかけると、「ひどい暑さや、もう帰らはったほうがええ」とにっこりされました。ゴザはきびしい陽差しをさえぎり、しかも背中との間に風を通してくれるのでしょう。いつもながら、農家の知恵には感服させられます。
暑さに追われるようにいそいでナス、トマト、ピーマン、サンドマメ、モロッコインゲン、ゴーヤ、スイカ、カボチャを収穫し、ワゴン車の後ろに詰め込んで大阪へ帰りました。新鮮さを喜んでくれる友達にお裾分けし、仏壇にはきれいにザルに盛って供えました。
8月がくると、農村ではお盆の行事が始まります。大阪の農家では、月初めに村中こぞって墓掃除をし、7日には「七墓まいり」といっておばあさんたちが誘い合って墓参りをします。13〜15日のお盆の間、お母さんたちは帰ってこられるご先祖さまを迎え、三度の食事を調えて接待し、怠りなくご供養します。
13日には仏壇をきれいに磨きあげ、大きな蓮の葉の上にわが家で取れた野菜たちを供えます。帰ってこられたご先祖さまがゆっくり落ち着かれるように、「おちつきそうめん」と呼んで、そうめんをお供えする地域もあります。3日間の食事は地域によって異なりますが、季節の野菜とお米を使い、ササゲの赤飯やあんころ餅、野菜の煮物を大皿に盛った「おひら」などを朝昼晩と献立を変えて供えます。そして、16日にはおはぎやだんごを「みやげだんご」としてお供えし、ご先祖さまをお送りするのです。
8月23日と24日は「地蔵盆」です。これは子どもたちの健やかな成長を願う村の行事です。お地蔵さんの前には村中の家々から供えられたお菓子や果物などがならび、各家の子どもたちの名前が書かれたかわいらしい提灯がいっぱい上げられ、夕方になると灯りがともされます。その下には、浴衣を着せてもらった子どもたちの元気な声と楽しそうな笑顔がいっぱいです。
思いっきり遊んだあと、お供えを分けてもらった子どもたちが家路につき、お盆の行事と夏が終わるのです。
豊かな実りを生み出す大切な農地をこつこつと耕し守ってくれたご先祖さま、家を整えそして家内の安全を守ってくださるご先祖さまは、農家にとって大切な存在です。ご先祖さまの苦労があって自分たちが今生かされているという思いが、村の行事や日々の暮らしの中で子どもたちにも自然に受け継がれていくようです。
森羅万象に宿る神々と同じように、ご先祖さまたちの存在があるのでしょう。だから、その神々から与えられた恵みの野菜たちを、仏前にお供えすることは、感謝の心の自然な表現であるように思います。
さあ秋です。夏野菜の恵みに感謝しつつ、秋・冬野菜の準備に励みましょう。
[このページのトップへ]
8月1日更新
自宅の玄関を出ると目の前に、向かいの家の庭に植えられた1本のリンゴの木が目につきます。このリンゴの木には、野球のボールくらいの若草色の実が3個だけ付いていて、風にゆらゆら揺れています。
そんなとき、仲間のいないリンゴの木が何だかさみしそうで、紅く熟れるまで「風に落とされないでがんばって!」と励ましたくなります。
7月に入って、自宅の裏庭のサルスベリが、梅雨空にピンクの花をいっぱい咲かせました。梅雨も明けカンカン照りの太陽の下で輝きをまし、ときどきチョウチョやセミが飛んできて、薄いピンクの花びらをはらはらと落としていきます。サルスベリには真夏が似合います。
7月の中頃まで雨ばかり続いた農園では、収穫するのがやっとで、管理作業がほとんどできませんでした。水を欲しがるナスやピーマンは見違えるほど見事に育ち、水のあまりいらないトマトやスイカは少し元気がありません。
でも梅雨明けと同時に、夏野菜たちの旺盛な生長の勢いが農園中に溢れ、私たちは収穫しきれないと嬉しい悲鳴をあげています。
ナス、トマト、キュウリ、サンドマメ(三度豆)、モロッコインゲン、ピーマン、シシトウ、トウモロコシ、エダマメは収穫最盛期、長雨で受精が遅れてしまったカボチャとスイカも何とか実を太らせてきました。
見事に実った夏野菜たちの間で、ラッカセイとゴマとツクネイモが秋の実りに向かって着実に生長しています。
ラッカセイは株元にたくさん付いていた小さな黄色い花の柄を伸ばして温かい土に潜り込み、ひょうたん型の豆を太らせていますし、白いラッパ状の花を付けていたゴマは緑色の殻の中に小さな小さなゴマ粒をいっぱい包んで縦一列に並び、むせかえるような夏の風にゆれています。
ツクネイモは細いツルを支柱に巻き付け、支柱の高さよりも伸びたツルは夏空に昇る勢いです。
しかし、何よりも元気なのが雑草たちです。6月末に草削りをしたのに見事なくらいに復活し、憎たらしいほど生き生きと農園を覆い尽くします。
こんな農園の現状を見かねてか、7月16日には私が講義に行っている大阪府老人大学園芸科の昨年の卒業生22名が、7月23日には今年度の園芸環境科の学生33名が農作業の応援にきてくれました。
私にとっては、偉そうに講義していることと実際にやっていることの違いがばれて、少し恥ずかしい思いをするのですが背に腹はかえられません。また、そんな私とのふれ合いや仲間とともにする農作業の楽しさが、老人大学の学生たちが第二の人生を元気に過ごすことにつながっているのかもしれません。
農園の雑草を見て「先生の畑は雑草と野菜を同時に育てる『草生栽培』をやっているのですか」、「この畑がよくできるのは、先生の技術のせいではなくて、土がよいからでしょう」と、きつい言葉をポンポンとかけられます。
毎度のことながら、苦労して野菜を育てていることなど一つも褒めてもらえません。それでも暑い中、黙々と草を引いてくれ、見違える程美しい農園に変身しました。
近くの農家からは「服部さんとこは人海戦術ですか。大阪からの交通費だけでも大変でっせ」と冷やかされました。
16日は農作業を終えてから卒業生たちと祇園祭の宵山にくりだし、夏の夜を楽しみました。
夏を思いっきり楽しんだあとは、秋野菜の準備です。8月に入ればすぐにダイコン、ハクサイ、キャベツなどの作付け計画を立て、タネや苗、肥料、ポリマルチの手配などを考えます。昨年と同じ場所に同じ野菜を植えないように工夫しながら、ふたりで相談して絵に描いていきます。
今年は、ジャガイモを収穫したあとにハクサイ40本、キャベツ30本、カリフラワー10本、ブロッコリー5本程度とミズナ、ホウレンソウ、シュンギクなどの軟弱野菜を植えることにしました。スイートコーンを収穫したあとには長ダイコン150本を、エダマメのあとには漬物用のダイコン50本程度を植えましょう。
お盆が済めばすぐに、夏野菜のあとかたづけと秋野菜用の畝を約100m耕耘(こううん)し、さらに8月下旬には元肥を入れて整地し、マルチを張らなければなりません。カンカン照りの毎日が続くことでしょうが、おいしい秋野菜を食べるためにがんばりましょう。
[和雄のひと言]
先日、自宅近くにある大阪薫英女学院中学校の依頼で、農業の出張講座に行ってきました。この夏、180名の1、2年生が長野県飯田市にファームステイするのに向けて、少しでも農業や農家の暮らしのことを子供たちに知らせておきたいと計画されたものです。
長野県の農業の特徴、農家の心配事、日本の食料自給率のこと、農業の大切な役割など、農業を理解する上で必要だろうと思うことを1時間ばかりお話ししましたが、老人大学での講義のようにはいかず理解してくれたかどうか少し心配です。しかし、普段何気なく食べている農産物にちょっと関心を持ってくれたり、飯田市の農家とのおしゃべりや農作業のときに、ひとつでも思い出してもらえればと思っています。
[このページのトップへ]
7月15日更新
昔、田植えと言えば6月、蓑やカッパを着て梅雨に濡れながら田植えをする姿が農村を代表する風景でした。そして、7月初めの半夏生(はんげしょう)のころには田植えも終わり、村中で田植え休みをしたものです。
半夏生とは夏至から11日目の日のことで、今年は7月2日でした。大阪の河内地方ではこの日を「はげっしょ」と呼び、田植えが無事に終わったことをお祝いして「はげっしょだんご」をつくりました。
田植え前に収穫した小麦を粉にして団子をつくり、砂糖を加えたきな粉をまぶしたもので、甘いものがなかなか食べられなかったころには、子どもたちにとって大きな楽しみだったようです。
今でも昔を懐かしんで食べる農家もあると聞いています。
近ごろは5月中に、田植機でアッという間に田植えを終える地域がほとんどになりました。私たちの農園のまわりの稲田も、半夏生のころにはすでに見事に株を張り、豊かな緑を波打たせていました。
盆明けには収穫を迎える早生品種「ハナエチゼン」の田んぼでは、すでに6月の終わりごろから「穂肥」(ほごえ)が撒かれ、今は小さな白い花が受精も終えてはらみの季節を迎えています。
昨年、「ハナエチゼン」の収穫がはじまったのは8月16日でした。20日には60トンがJA今津町に集荷され検査を受けて、早場米として大阪・京都方面に初出荷されています。今年も昨年どおり早い出荷になることでしょう。
新米を早く市場に出したいという市場の要請や、大規模稲作農家の労力分散も考えて進んできた早場米の生産ですが、お盆過ぎの暑い最中から収穫の秋を迎える稲作農家のご苦労がしのばれます。
ついこの間のように思える5月の連休中、田植えどきの忙しさを周りに感じながら苗を植えた私たちの農園の野菜たちも見事に育ち、自然の確かな移ろいに驚かされます。
空梅雨かと思われるようなカンカン照りの6月最後の日曜日、友だち親子の応援も得てジャガイモ掘りをしました。そのとき黄色い小さな花を見せてくれていたラッカセイも、梅雨らしさが戻った7月初めからグングン大きくなって株を張り、数え切れないほどの花を株もとに付けています。この花たちももうすぐ温かい土に潜っておいしい豆に育つでしょう。
また、めったに手に入らなくなった国産のゴマの豊かな香りが味わいたくて、昨年からつくり始めたゴマも、7月初めから小さなラッパのような白い花をたくさん付け50cmほどにも伸びてきました。箱館山からの吹き下ろしの風に倒されないように、畝の四隅に棒を立て周りにひもを張りました。
収穫してから乾燥させ、ゴマの粒を取り出して余分なものを取り除き、水洗いしてからさらによく乾燥させる……。そんな手間のかかる作業に手を焼くことも承知で、今年は少し多めに栽培しています。秋ナスが取れるころには香りたっぷりのナスのゴマ和えがいただけるでしょう。
私たちの背丈ほどに伸びて花を咲かせているトウモロコシと、実が15cmほどに育ってきたスイカには、七夕の日に防鳥ネットをかぶせました。実が熟してくるのを見計らって空から舞い降り、孫たちより先においしいところをつついてしまうカラスに対抗するためです。青森にいる孫たちから「トウモロコシ送ってね」と電話で催促があり、汗だくの作業にも力がはいりました。
遠くにいる孫たちには、収穫の楽しさを味わわせることができないので、せめて取れたてのトウモロコシの甘さとおいしさを送りたいと思っています。収穫したらすぐに塩ゆでし、冷凍にしてクール宅配便で送りましょう。このときいっしょに、収穫したてのおいしさが際立つ、エダマメの塩ゆでも入れてやりましょう。「おじいちゃん、おばあちゃんおいしかったよ」と翌日の夜には、きっと電話がかかってくることでしょう。
[愛子のひと言]
自然に抱かれ自然に圧倒されながらも、時がくれば枝葉を伸ばし花を咲かせて実を結ぶ。こんな野菜たちとお付き合いしていると、自分たちの小ささを実感させられます。
私たちにできることは、それぞれの野菜たちの個性を知って、倒れないように支柱で支えてやったり、根付くまでの小さいうちは水を少しかけてやったり、ぐんぐん育つときには肥料をおぎなってやったりなど、ほんの少しの手助けです。でも花が咲いて実が結べば、思いっきり喜ばせてもらえるのですから幸せです。
しかし、しっかりと根を張りたいと思っているときに、早く大きくしようと水をやりすぎて根を腐らせ、ひ弱に育ててしまったり、大きく育とうとしているときに、早めに実を付けさせようと実を結ぶための肥料を与えてしまったり、時がくれば花を咲かせ実を付ける野菜たちの自然な力に逆らい、素直な育ちを妨げてしまうこともあります。こんなときには結局よい収穫は得られません。
こうした経験をすると、野菜づくりって何だか子育てみたいとときどき思うのです。
農園や周辺の自然とかかわるようになって、孫たちが喜んだり驚いたりすることが多くなり、本当によかったと感謝しています。また、私自身も野菜たちから、孫たちとの付き合い方を少しは学べたのではないでしょうか。
[このページのトップへ]
7月1日更新
先日、農園に向かういつもの農道を通ろうとすると、道をふさぐように高さ2m以上のネットが張られ、通行注意の立て札。仕方なくとなりの農道に行くと、ここもまたネットが張られて通行注意の立て札です。
よく見ると「鹿、猪、猿による獣害により、農作物に大きな被害が出ているため、山につながる農道にネットを設置しました。通行される場合は、通ったあと必ずネットを閉めてください」と書かれていました。
農家の方のお話では、一昨年から農作物を求めて猪や鹿がたびたび出没し、いたるところで農園が荒らされるため、野生動物の通り道(けもの道)と思われるところに、何と60万円もの経費をかけて延々2kmにわたるネット張り。集落総出の大仕事だったというのです。
私たちの農園でも、やっと一人前に育ちはじめたサツマイモの苗が2年続けて掘り返され、予定の半分しか収穫できなくなり、楽しみにしていた友だちとの芋掘りができませんでした。
今年は、集落で張っていただいたネットがある上に、農地をお借りしている農家が、私たちの農園と農家の自家用野菜畑を含めた3000m2の周りにネットを張り巡らしてくださったので、よい収穫が期待できそうです。
しかし、二重のネットで今年は安心と思っていたら「猪はかしこいからこれでも安心できん。わずかな隙間を見つけて入ってくる」との農家のお話。動物たちも必死なんだと、昨年目にした痩せ細ったキツネの姿を思い出しました。
ネットに囲まれた農園で農作業をしていると、動物園のオリに入っているようで何だか変な気分です。しかし里山近くの農村の人たちが、野生動物と共存するために額を寄せ合って知恵を出し合い、共同作業で暮らしを守っている姿を思うとき、その人間らしい暮らしにホッと心がなごみます。
野菜たちはもちろん、夏草の生長も旺盛なこの時期、野菜の整枝、剪定、誘引などの管理作業や草削りと、やりたい作業は山ほどあります。
農家は朝夕の涼しい時間に農作業をし、暑い盛りの日中は、体を休めるために昼寝する人が多いのですが、日帰りで農作業をする私たちは、日中も寸暇を惜しんで作業をすることになります。広い農地の真ん中でぽつんと作業している私たちを見て、農家の人たちはあきれているかもしれません。
夏の代表的な野菜は何といってもトマトでしょう。西洋では「トマトが赤くなれば医者が青くなる」と言うそうです。トマトは夏の健康を保つために大事な野菜なのです。
トマトは収穫後も成熟が進み、これを「追熟現象」と言います。
このため農家は、消費者が購入するときに食べごろになるよう少し早めに収穫して出荷します。でも、夏の太陽をいっぱいに受けて赤く色づき、完熟になってから収穫したトマトこそ本物で、最高の味です。株で完熟したトマトを丸ごと冷やし、かぶりついたときの味わいは、家庭菜園の醍醐味でしょう。
トマトは、糖分が高いほど比重が重くなります。食べる前に一度トマトを水につけ、その中で水に沈んだトマトを選んで食べてみてください。トマトの本当のおいしさが味わえます。友達にも沈んだ重いトマトをあげましょう。きっとそのおいしさにびっくりするでしょう。
私たちの農園でもキュウリ、ナス、トマトなど、夏野菜の収穫真っ最中。大阪から自動車で農園に出かけたときはいいのですが、電車で行ったときは大変です。背中のリュックサックと両手の袋に収穫した野菜たちを詰め込み、フラフラしながら帰路につきます。おいしい野菜を食べたい、収穫した野菜は無駄にしたくないという欲張りがさせる、なんとも勇ましい姿です。
かつて普及員として、農家の方々に同じ野菜ばかりを食べる「ばっかり食」にならないように気をつけましょうとお話ししてきましたが、現在の私たちの食卓には、朝昼晩と夏野菜の料理ばっかりが並びます。それでも、新鮮でおいしくて、ついつい食べ過ぎてしまいます。「もうすぐ私たちはキリギリスに変身ね」と笑いあっています。
[和雄のひと言――「自産自消」は最高のぜいたく]
最近、身近な地域で生産された野菜などを購入して食べる「地産地消」(ちさんちしょう)の取り組みが全国各地で盛んに行われています。これは、顔の見える近さにくらす生産者と消費者が手をつなぎ、くらしの安心を互いに支え合う大切な取り組みで、もっともっと広がればいいなあと思っています。
しかし、もっともぜいたくなのは、どんな肥料をやったのか、いつどんな農薬を散布したのか、またどんな育て方をしたのかがはっきり判っている、「自産自消(じさんじしょう)」ではないでしょうか。自分でつくった新鮮な野菜を自分で食べる。家庭菜園の醍醐味はこれに尽きると思っています。
まだ花が付いているキュウリをもぎ取って食べる。畑で完熟したトマトを冷たく冷やして丸かじりする。取れたてのスイートコーンやエダマメをすぐに塩ゆでにして食べる。これほどおいしくてぜいたくな食べ方はありません。プランター栽培からでも、ちょっと「自産自消」を体験してみませんか。
[このページのトップへ]
|
|
|