豊かな自然がくらしの舞台装置 2
(2007/02/15)

《承前》

 高度経済成長・所得倍増計画が謳われた頃、激しい都市化の波が農村を飲み込んでいきましたが、大阪の農村地域でさえ水道のないところも多く、川から風呂の水を引いているため、雨が降ると濁り湯に入るという農家があったり、京都の農村部では、井戸もなく毎日谷川まで水汲みにいくのが女性たちのつらい仕事として残っている集落さえありました。

 また、井戸があっても水量が不足する家も多く、隣の家が1メートル井戸を深く掘ればこちらの家の井戸が干上がってしまって、水争いがたえないところもあったのです。こんな状況を何とか変えたいと生活改善グループで話し合い、水道を引く運動を起こした女性たちもいました。この取り組みは集落全体の話し合いに広がり男性たちの協力を得て、村中に水道が引かれ女性たちはつらい水汲みから解放されたのです。 

 都市化の影響も受けながら、各地域の集落ではもっと衛生的なくらしがしたい、暗い夜道で娘たちの帰りが心配、買い物が不便、寄り合いのための集会所がほしいなど、生活環境を良くしたいという思いが話し合われ、集落全体に問題意識が広がりました。そして、始まったのが集落の生活環境点検地図づくりでした。

 集落の役員さんたちと女性たちが中心になって改めて自分たちの集落を見直し、見通しの悪い道路、危険な池や崖、飲料水の不足している家、水質が悪くて困っている家、ゴミの捨て場になっている場所、夜道の暗い所などを大きな地図に書き込み、問題の整理をし、参加した人たちが問題を共有していったのです。そして、問題点を集落の人たちに知らせ、その問題を解決するためにどうしたらよいかを問うために全戸の意向調査なども行われました。こうした取り組みは、住みよい集落づくりのための住民共通のテーマを明らかにしただけでなく、みんなが将来に向かって夢を持つことにつながっていきました。

 全国あちこちの農村でいろいろな取り組みが始まりました。簡易水道の設置、外灯の増設、料理や農産加工のできる集会所の設置、生活道路の整備、移動食品販売車の誘致など、取り組まれる課題はさまざまでしたが、それぞれのところでドラマが生まれ、集落や地域が少しずつ変わっていきました。


みんなで作ってきたコミュニティが美しい農村集落を守っています
 早春の頃農村を訪れると、芽吹き始めた木々に覆われた山々を背景に農家の家々が重なるようにならび、掃き清められた広い庭先にはレンギョウやユキヤナギが咲きほこり、土塀の側には万両が赤い実をたわわに付けています。

 4月、桜が咲き始めると、畑では畝を立て直して夏野菜を植える準備が進みます。横の畝ではエンドウが蔓を伸ばして支柱をはい上がり、紫がかったかわいい花をつけ始め、ジャガイモは勢いよく背丈を伸ばし株を張っていきます。田んぼでは畦草がきれいに刈られ、水が入り始めて田植えの準備が進むと、風景がきりっとした清潔感に包まれます。

 「あそこの村は畦草も刈らんと、ずぼらなとこや」と、隣村を揶揄する農家の声を聞いたことがありますし、また、「この街道を真っ直ぐきてください。きれいな村が出てきたらうちの村です」と教えてくれた方もありました。

 庭には季節の花を絶やさず日々に雑草をぬいて住まいを整えることは、よりよくくらしていることの証しでもあり、年に何度となく畦草を刈り、田畑を美しく保つことは農民としての誇りでもあります。そうした日々の努力が美しい農村をつくりあげ守ってきたのです。

 自然の恵みに生かされて農業を営み、その地で何代もくらし続け、歴史を刻んできた農村の人たちは、自然の大いなる力の恐ろしさも知り尽くし、その脅威も受け入れつつ生きてきました。そして、みんなのくらしの舞台である自然を守りくらしの環境を整えるために、集まって相談し力を合わせてきました。田植えが近づくと村中総出で水路をさらえ、大切な水が無駄にならないように田に水を入れる順番の相談もします。農作業に少しゆとりのある夏には、道普請(みちぶしん)といって総出で道の補修をし、稲刈りが終わると用水池の池さらえをしてお互いさまでくらしてきたのです。

 古くても大切なものはしっかり守りながら、コミュニティの力でくらしの変化にあったあたらしい地域をつくりつづけてきた農村の人たちに、今こそ、都市にくらす人たちが学ぶ必要があるように思えてなりません。

 世界中に広がる異常気象の現状をニュースで見ながら、今、私たちは何をすべきなのかと考える、暖かい2月です。