豊かな自然がくらしの舞台装置 1
(2007/02/15)


 大都市大阪にも、大阪平野を取り囲む山裾に美しい農村があります。
 京都亀岡市、兵庫県篠山市などと接する摂丹(せったん)高原の一角にある能勢(のせ)町は、大阪の北海道ともいわれて冬は厳しく、町の最北部にある天王集落では、家々の軒先につららが下がり、集落に達するまでの曲がりくねった山道は凍てつき、融雪剤がなければ通れません。

 しかし、3月の声を聞くと灰色に沈んでいた野面からさわやかな緑が広がり、木々の芽吹きが山々を徐々に上り、4月の声とともに風景全体が春色に染まります。若草色に化粧する山々のあちらこちらに山桜が白や淡いピンクをにじませ、その足下にミツバツツジの紫がかった濃いピンクが鮮やかに目を引きます。

 桜の花が咲き始めると農作業を始める準備に忙しくなります。この季節の到来を待ちかねていた人々は、いっせいに田畑に出て田植えの段取りや野菜のタネまきに汗を流します。こんな人々を急かすように山々は緑を濃くし、畑では夏野菜たちが根を張り、見る間に力強さを増して実りの準備を整えます。そして、水の張られた田んぼでは田植機がエンジン音をひびかせ、ツバメが田の水面すれすれに飛び交います。
 異常気象だといわれるほど今年は暖冬です。もうすぐ春が目を覚まし、こんな風景が、南から徐々に日本列島をおおうことでしょう。

 以前、アフリカの赤道直下に広がる砂漠の国で、広漠とした砂漠に沈んでゆく真っ赤な太陽をながめながら「私はこんな美しい国に生まれて幸せです」と話す現地の人の姿をテレビで見て驚いたことがあります。見渡す限り緑一つ見えない国も、そこに生まれくらし続けてきた人たちには、その美しさが実感できるのだと知ることができた映像でした。
 緑豊かな日本のような国だけではなく、地球は大気と水に覆われた青い美しい星なのです。


みんなで地域を変えていくコミュニティが農村にはあります
  愛子が生活改良普及員として初めて農村に立った1960年頃は、生活の合理化や民主化など、今まで顧みるゆとりのなかったテーマが農家女性たちの生活改善グループ活動で話題になり始めていました。

 農村住宅の不合理さも問題の一つでした。南側に広く開けた縁側に沿って取られた広い客間、北側に押し込められた暗い寝室や茶の間、そして、台所は土間で冷え冷えとしていることなどが話し合われ、田の字のように4つの部屋が襖で仕切られた農村住宅は、襖をはずせば大広間として使えるため、寄り合いや婚礼や法事などの時には便利ですが、若夫婦の寝室もなく、大きくなった子どもたちのプライバシーを守る場所もなく、こんなことが農村に嫁がこない原因ではないかという意見もありました。

 そんな話し合いの中から住宅改善を活動のテーマとして取り上げることになり、勉強会が始まり資金計画も検討されました。住宅を改善する資金を貯めるために鶏を飼い、卵を販売したお金をグループとしてストックし、その資金を使って改善計画が具体的になった家から順番に改善を進めたグループもありました。彼女たちはこの資金集めを「卵貯金」と呼んでいました。こうして若夫婦の個室の確保や子ども部屋の改善や台所改善が進められていきました。このように進められた住宅改善の取り組みは、人々の生活や考え方も変えていくことにもつながっていったのではないでしょうか。 

 住宅改善を進めた活動は、炊き口から煙が吹きだし燃えにくかったカマドをエントツのついた改良型のカマドに変え、さらにプロパンガスのコンロに変えていきました。便利になり目も痛くなくなったけれど、カマドの前に座ってマキをくべる仕事がなくなり、若嫁さんのただひとつの憩いの時間を奪ってしまったのではないかという話もささやかれました。しかし、くらしを便利にするためにお金を使い、女性の考えで台所を改善することは、農村女性たちの立場やくらしを変えていく第一歩でもあったのです。

 一方、農家住宅の無駄の代表のようにいわれていた南向きの広い客間に座っていると、植え込みのある庭の向こうに澄み切った青空と山々の連なりが望め、心が豊かに満ちていくのです。合理的でプライバシーが守れる住まいも必要ですが、無駄の持つゆとりは豊かさでありくらしの文化でもあることを実感させられます。
 悲喜こもごも、良し悪しを織り交ぜながら農村は変わってきました。



続く⇒