《承前》
「食育」を進めるために必要なこと
「食育」の目的は、日常の生活の中で楽しみながら食事をつくって楽しく食べる、そんな普通の食生活ができる力を育むことです。しかし、今の社会では個人の努力だけでこの目的を達成することが難しい状況です。
共働きをして2人の子どもを育ててきた私たちの経験以上に、養護学校の教師をしながら3人の子どもを育てている娘夫婦のくらしは大変です。食べることや子育てにもう少し時間と手がかけられるような働き方にならないでしょうか。また、子育て中の若い人たちが安全なものを安心して食べることができる、そんな社会になってほしいと強く思っています。
朝食を1人で食べている小学生が50%を超えているという驚くような数字が発表されたのは、1998年に実施された国民栄養調査報告でした。
国の「食育推進基本計画」でも、朝食を食べずに学校に行く小学生が2000年には4%あり、2010年にはこれを0%にする目標をたてています。4%ということは、1学年40人学級2クラスずつの学校で20人が欠食児童だということになります。一方、夜遅くに仕事から帰ってくるお母さんが、お腹を空かせて待っている子どもたちのために、手づくりで食事を調える時間があるでしょうか。
2006年3月に発表された総務省の労働力調査では、パートやアルバイト、派遣や契約社員など非正規雇用の労働者が33.2%と、調査を始めて以来最高となっています(2006年1〜3月期)。20代30代の若い人たちはさらに高い数字です。非正規雇用の若い人たちのほとんどは1ヵ月の収入が10万円そこそこだといいます。
以前、近畿大学で行われた毎日新聞主催の「食の国際フォーラム」で、「あなたはどんな食生活を目ざしていますか」と質問されたオランダの学者が、「自分の住んでいる町でつくられた野菜を、町の商店から買って食べることです」と答えられたのが印象的でした。
「身土不二(しんどふじ)」という言葉があります。「そこに生きる人は、その風土の中でこそ生かされる」ということでしょうか。これを食について考えると、健康にくらすためには、自分が生まれ育った土地できたものを食べるのが自分の体にあっている、滋養になるということだと思います。
しかし、スーパーマーケットなどに並んでいる地場産の野菜は値段も高く、品数も少ないのが現実です。できれば国産品を、地場産のものをと思っても、値段の安い輸入品の野菜に手が伸びます。
そんな現実を見るたびに、「食育基本法」の目的が実を結ぶためには、自己責任だけでは解決しない問題がたくさんあると思うのです。せめて子どもたちと朝食を食べてから出勤し、夕食に一品でもいいから安心して食べられる食品で手づくりの料理を準備し、家族そろって食卓が囲めるようなくらしが保障される社会になってほしいものです。
そのために何ができるかを考えて、力を合わせて行動しなければいけないと思っています。
孫たちとの農園・山の家でのくらしを大切にして
私たちの農園では毎年5月の連休に、孫たちといっしょに夏野菜やサツマイモの苗の植え付けやゴマのタネまきをしています。このとき、孫たちと朝早く起き出し、新緑いっぱいの山の家のまわりの林やたんぼ道を山菜を摘みながら散歩します。
この小川の土手にはワラビがたくさん生え、道路下の湧き水のある湿地にはやわらかそうなセリが群生していることも孫たちは知っているので、帰る頃には、孫たちの持ったビニール袋にたっぷり山菜が入っています。
山の家に帰ったら、孫たちが拾い集めてきた枯れ枝で焚き火をします。そうしてできた木灰と熱湯をたっぷりかけてワラビのアク抜きをするのです。湯が冷めて灰を洗い流すと、やわらかくなったワラビの透き通るような濃い緑が鮮やかです。孫たちは「どうして」を連発しながら眺めています。このワラビはおいしい出し汁と花かつおをかけて昼食の一品になります。
あとの山菜は、収穫したての野菜といっしょに、双子の男の子たちの手伝いで天ぷらにします。「僕がてんぷら揚げるから」と競いながら手伝ってくれた孫たちは、たまたま訪れてくださった友人にできたてのてんぷらをお出しして、「僕がつくったんだよ」と鼻高々です。
農園と山の家のお陰で孫たちと楽しい時間が持て、おじいちゃん、おばあちゃんの役割も果たせて幸せだと感謝しています。
「食べる」ということは命をつなぐためだけではなく、同時に心も元気になるための営みです。
家族が心と体の健康を共有し豊かにくらすために食事をします。
子育てと同じように食べるということは、人間として成長し生きていくために手抜きしてはならない大切な行為です。
家族そろって「いただきます」がいえるくらしを取り戻しましょう。
そのために、今日の夕食には安全な食材を準備し、もう一品多く手づくりの料理を出すところから始めようと思うのです。