《承前》
門松立ててしめ縄飾ってお正月
餅つきの片付けが終わると、新しい年の神さまをお迎えするために門口に門松を立てます。そして、おじいさんがしめ縄をつくり、玄関や裏口、農業用の納屋の入り口などに飾ります。しめ縄を飾るのは汚れを断ち家の内を神聖にするためだといわれています。そのため、不浄とされる便所の入り口に飾るところもありました。それが済むとお鏡餅を家中にお供えし、忙しい30日が終わります。
31日大晦日は、お母さんとおばあさんが、お煮しめやお祝儀物づくりに大忙しです。朝から大きな鍋に昆布やじゃこで出し汁を取り、ゴボウ・レンコン・クワイ・サトイモ・ニンジン・タケノコ・干しシイタケ・高野豆腐やボウダラなどを一品ずつおいしく煮付けて重箱に詰め合わせます。
黒豆の甘煮やかずのこやごまめのあめ煮などのお祝儀物も、失敗しないように味を確かめながらたっぷりとつくります。親戚が集う日には欠かせないお酒とかしわのすき焼きの用意も忘れません。おじいさんとお父さんは、初詣の準備などのために氏神様やお寺に出かけ、村あげての正月準備を手伝います。
やり残した仕事がないかを確認して正月の準備を終え、家族そろって大晦日の夜を迎えるのです。
新年の豊作と家内安全の祈りで始まるお正月
年が明けてお寺から除夜の鐘が聞こえてくると、家族で新年の挨拶を交わし、仏壇や神棚に灯明を上げ、家族そろって新年の豊作と家内安全を祈ります。
子どもたちは寝床に入りますが、大人たちは凍てつく夜の空気の中を、身が引き締まるような思いで氏神さまとお寺にお詣りします。お酒とお餅などをお供えして新年が幸多い年になるように祈った後、お参りに集まった村人たちと、真っ白な息を吐きながら新年の挨拶を交わし、新しい年が無事に明けたことを祝います。
元旦、朝早くに若水を汲んでお雑煮を炊き、お屠蘇とお雑煮で、改めて家族そろって新年を祝います。昔は、若水を汲む井戸に家内の安全と円満を祈り、家族がまめに暮らせることを願って、かまどで豆木を焚いて雑煮をつくりました。
元旦は「一年の計は元旦にあり」と言われて、ゆっくりと楽しく過ごすことが許された日で、一年の農作物の作付け計画やくらしの計画を考える日でもありました。
2日は、仕事始め、鍬始めなどといって、農作業・山仕事を始める日とされていました。朝まだ暗いうちから、鍬をもって霜柱の立った田畑をめぐり、豊作を祈りながら農地1枚ごとにひと鍬ずつ鍬を入れ、仕事始めとしたところもあります。
子どもたちは残しておいた若水を使って墨を擦り、書き初めをする日です。書き上げた習字は15日まで部屋に張っておいて、15日のトンドで燃やします。高く燃え上がるほど習字が上達するといわれ、子どもたちの成長を願う行事でした。
三が日過ぎても続く祈りのくらし
正月三が日が過ぎても、祈りの日々が続きます。
4日は、「福あかし」または「福わかし」と呼ばれて、餅の入った味噌味のおみ(雑炊)を炊いて食べると福を呼ぶといい、家族そろって食べたものです。
7日は七日正月、七草粥を炊きます。セリ・ナズナ(ペンペン草)・ゴギョウ(ハハコ草)・ハコベラ(ハコベ)・ホトケノザ(コオニタビラコ)・スズナ(カブラ)・スズシロ(ダイコン)が春の七草です。野にでて摘み取り、次のような歌を歌いながらまな板にのせて細かく刻み、丸餅といっしょに入れて七草粥をつくり、厄よけを願いました。
七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地へ
渡らぬ先に 七草なずな 切り叩く
トトンガ トントン トトンガ トントン
8日は牛の神さまにお参りし、農作業を手助けしてくれる大切な牛に感謝し、牛の健康を祈ります。
9日は山に入って餅や干し柿などをお供えし、山の神さまに感謝して山仕事の無事を祈ります。
このように、自分たちのくらしや農業を支え、助けてくださる神々への祈りの日々が続き、15日の小正月を迎えます。この日は餅を入れた小豆粥を炊いて神棚に供え、豊作を祈りました。粥を炊いている鍋を藁すべでかきまわし、この藁にたくさん米粒が付くと、「今年は豊作だ」と占った地方もあるようです。小正月になるとしめ縄もはずしてトンドで焼き、お鏡餅も片づけてお正月は終わります。
これはひと昔前の農村のお正月風景かもしれません。機械化などによって農業の様子が変わり、都市化の進展で農村も混住化し、くらしも大きく変わってきました。しかし、農業にかかわり自然の恵みや怖さを知っている人たちは、自然に感謝し自然を怖れ、生きとし生ける物を大切にする心を失ってはいません。
先祖が築き上げてきた豊かなくらしの文化がしっかりと継承され、若い人たちによって新しいものが付け加えられ、さらに心豊かなくらしが広がることを願いつつ、新年を迎えたいと思います。