縁側のガラス戸を磨く子どもたちの傍らで、晴れ着の身上げを下ろす母の姿と、その膝に広げられたなつかしい晴れ着の紅い色が、正月の風景として目に焼き付いています。この風景には晴れの日である正月へのあこがれと、家族へのあたたかい心が包まれていて、正月が近づくと必ず甦る愛子の思い出です。
そんな思いを子ども心に植え付けてくれた親への感謝とともに、今年も遠方から帰ってきてくれる息子や娘の家族といっしょにお正月を過ごし、かわいい孫たちの心に温かい思い出を刻めたらと思っています。
去りゆく年の収穫への感謝で始まるお正月
大阪の北部地方では忙しかった収穫の秋も終わり、農機具を整備し納屋など、忙しくて散らかしたままになっていたところを片づけ終え、12月13日から正月の準備に入ります。この日を「コトハジメ」または「正月はじめ」といって、まずは家のあちらこちらにお祀りしている神棚を掃除して灯明を上げ、洗い米やお神酒を供えて今年の収穫に感謝します。そして、清々しい気持で新しい年を迎えるために家中のほこりを払い、普段は手の届かないところまできれいに掃除します。
このように正月への準備を進めつつ、去りゆく年の農作業やくらしについての反省もし、新しい年の計画へと繋げていくのです。師走といわれるとおり、12月は体も心も忙しい月なのです。
家族総出で大掃除をし、磨き上げられて透き通ったガラス戸越しに見える前栽は、サザンカが満開になりツバキにも真っ赤な花が数輪咲いて、どこか違った風景のように新鮮です。たくさんの赤い実を付けたナンテンの枝には、鳥に食べられないようにビニール袋がかぶせてあります。このナンテンは、若松や菊の花といっしょに大きな花器に生けられて玄関を飾り、正月らしい雰囲気をつくってくれることでしょう。
やっと掃除が片づくと、正月に着るものや食べ物の準備です。タンスの奥から取り出された晴れ着を子どもたちに着せてみたお母さんは、「こんなにつるつるてんになってしもて、ほんまに大きなったなあ」とうれしそうに声をあげつつ、身丈や袖丈を伸ばしてくれます。晴れ着を肩にかけてもらった子どもたちはじっとしていません。「寸法がとれないよ。じっとしてなさい」と叱られてもはしゃぐ子どもたちを、おばあさんは日当たりのよい縁側に座って、箕(み)に入れたアズキのクズを選り分けながらやさしく眺めています。このアズキは甘い餡になってあんもちに入れられるのです。
大阪には門真(かどま)のレンコンや茨田(まった)のクワイ、高山右近の生誕地といわれる北摂地方の山奥、高山集落の高山ゴボウなど、正月に欠かせない野菜の産地があります。しかし、自宅近くの泥田の一画や沼のそばで、正月用のレンコンやクワイをつくっている農家もありますし、今でも、正月用の黒豆や金時豆、アズキなどを、おじいさんやおばあさんの手を借りて少しずつ栽培し、正月に間に合うように準備している農家は多いことでしょう。お客も多い正月のために、必要な食材を怠りなく準備しておくことは、お母さんとおばあさんの大事な仕事です。
家族総出の餅つきは正月を盛り上げるイベント
いよいよ暮れも押し詰まり、餅つきの段取りが始まります。
28日は火の神さま、荒神さんの日で火を使うことは避け、29日は苦が付くとか苦餅(にがもち)になるといって嫌い、30日に餅つきをするところが多いようです。
この日は朝早くから蒸し米の匂いが家中に広がり、心せかれるように各自の分担で働きます。前日に洗って水に浸けておいたもち米を大きなザルにあけて水切りし、ひと臼分ずつセイロに入れ、煮立っている「羽釜(はがま)」にのせて蒸し上げるのはおじいさん。蒸し上がったかどうかを確認して蒸し米を臼に入れると、お父さんが杵をぬらして蒸し米をこつき、手早く潰していきます。あらかた潰れたら杵を振り上げてしっかりとつき上げます。これは、力持ちのお父さんの役目です。杵が上がると、つき手の横にひかえたお母さんが、水でぬらした手で素早く餅をひっくり返したり水を補ったりします。
ひと臼目がつき上がると、手慣れたおばあさんの手がお鏡餅をつくります。数を数えながら、神棚用・農機具用の他、井戸端や子どもの勉強机などにも小さなお鏡餅が用意されます。次は餅花づくり。柳の小枝に小さくちぎった餅を、花が咲いたようにたくさんくっつけるのは子どもたちの役目です。この餅花はお米の豊作を願ってつくられ、家の中の柱などに飾ります。固くなった餅花は、田植え初めの日にぜんざいや雑煮にして食べ、豊作を願う地方もあるようです。
子どもたちが、餅の取り粉で真っ白になりながら餅花を付け終わると、次はお雑煮に入れる小もちをたくさんつくります。お母さんが同じ大きさにちぎってくれた温かい餅を、子どもたちもおばあさんに習いながら、両手でころころ回して丸めます。それが終わると、子どもたちお待ちかねのあん餅です。お母さんの手のひらで薄く伸ばされた餅に、アズキの餡がたっぷりのせられて手早く包まれます。お母さんは大きなあん餅をひとつずつ、真っ白になった子どもたちの手にのせてくれます。そのおいしいこと。子どもたちは口のまわりを真っ白にしながらあん餅をほおばります。これで子どもたちの手伝いは終わりです。
残りの餅はお母さんとおばあさんの手でのし餅にされます。大きくちぎった餅を餅箱に入れて形を整え、間に小さく切った板などを挟みながら、何本もののし餅がつくられます。のし餅は、少し固くなってから1pくらいの厚さに切って焼いて食べたり、薄く切って乾燥させ、かき餅(おかき)にもします。切れ端などは小さなサイコロに切って干し上げ、あられにするところもあります。こののし餅には、ダイズやエビや青のりやカヤの実などが入れられて、何種類もの味を楽しみました。また、おやつなどの少なかった頃には、寒餅といって2月の極寒の頃に餅をつき、一年中食べるおかきやあられをつくったものです。
大阪府能勢町では、もち米にうるち米を混ぜて粳餅(うるもち)をつき、切ると小判のような形になるように形を整えたのし餅をつくりました。これを黄金餅(こがねもち)といって、お正月に食べるとお金持ちになれると言われ、今でもつくっている農家があるようです。
続く⇒