《承前》
おじいさんおばあさんは、家族の中の大切な人
農村を訪れると、民家のそばには必ずと言っていいほどいろんな野菜や花が植えられた畑があり、ときどき、そこで草取りをしたり作物の手入れをしているお年寄りをお見かけします。
この畑は自家用の野菜や花をつくるための畑で、農家にとっては無くてはならないものです。
今の時期ならダイコン、ハクサイ、キャベツ、ホウレンソウはもちろん、シュンギク、コマツナ、ニンジンなど、数え切れないほどの野菜が収穫期を迎えて、畑いっぱいに実っていることでしょう。
朝早く起きたおじいさんが、畑から抜いてきてくれたダイコンとニンジン、それに油揚げを入れたお味噌汁とキクナのお浸しが添えられた卵焼き、初収穫したハクサイの浅漬けが朝食の食卓に並び、炊き立てのご飯と味噌汁の香りが食欲をそそります。
このように、おじいさんおばあさんが、家族においしくて安全な野菜をたっぷり食べさせたいと、一日に何度も入って手入れするこの畑の野菜が、農家の食の豊かさを支えているのです。
「畑の野菜はつくり主の足音を聞いて育つ」という言葉があるように、手塩に掛けて育てた野菜たちは、病害虫の発生も初期に見付けて手当するため、農薬が必要になることも少なく安全です。また、適期に必要なだけ収穫するため、最高に新鮮でおいしいのです。
庭の掃除を終えたおばあさんもいっしょに食卓を囲み、家族そろっての朝食が始まります。おじいさんは今年のダイコンのでき具合を自慢し、おばあさんとお母さんは、たくあん漬の段取りの相談です。そして子どもたちも、秋の遠足の楽しかったことなどを話し、にぎやかな食事になることでしょう。
こんなくらしを支える畑づくりは、長年鍛えてきた野菜づくりの技を生かして日々に働く大切な仕事、おじいさんおばあさんの生き甲斐でもあります。
兵庫県八千代町(現・兵庫県多可町)の高齢の農家女性から伺った話です。
「わが家自慢の梅干しの漬け方を嫁に伝えたいと思っていたのですが、それはお姑さんの仕事と考えているようで興味をしめさず、手伝ってもくれません。そこで、漬け方を丁寧に紙に書いて渡しましたが、その紙も引き出しに入れたままですし、紙などいつかは破れてしまうかもしれないと心配になりました。
いろいろ考えたのですが、蔵の大黒柱にマジックインキで書くことにしたのです。こうしておけば、私が死んでも大黒柱に書いた『梅干しの漬け方』のメモは残り、嫁があの梅干しを食べたいという気になったとき、きっと思い出してくれるでしょう」というのです。
親から受け継いだ梅干しの漬け方に、さらに工夫を加えておいしくなったこの味は、子や孫にも食べさせてやりたい大切な味なのです。
長野県の善光寺平でリンゴやモモをつくっておられる千野果樹園の女性から伺ったおじいさんのお話です。
「長男が学校を卒業したとき、果樹園から手を引いて息子に任せたじいちゃんでしたが、その当時は、経営方針や販売方法などは決して息子に全権を譲らない、れっきとしたわが家の親分でした。また、子どもたちにとってじいちゃんはこわい人でした。手伝いをさせられたりしかられたり、でも、おいしい果物をつくってくれたり、お父さんにしかられて家を追い出されたとき、助けてくれたのはじいちゃんでした。
そして、経営をだんだん息子に渡し、家族の健康のためにどうしたら農薬をかけずに霜が降りるまで野菜を保てるか、どう加工したらおいしいかなど、生活の知恵や農法を生み出し、くらしを豊かにしてくれました」
こんなおばあさんおじいさんたちは、ちょっとこわくてもうるさくても、家族にとって大切な人だったのです。そして、幸せな人だったのです。
地域の人たちとつながって生き抜いてきた人
先にお話しした八千代町の農家女性は、地域の人たちと生活改善グループをつくり、くらしを豊かにするために学習し、食の技を磨き、地域に広げる活動を続けてこられた方です。また、長野県の千野果樹園のおじいさんは、余った野菜や花はご近所にお裾分けし、タネや苗を譲り合い、分け合って終生くらし、生活の知恵や新しい農法を地域に広げていった方です。
わが家のくらしや農業を豊かにするためには、地域みんなで良くなることが欠かせないのだということを心得た方たちだったのです。
「農村では、70才になっても80才になってもくらしの現役、畑の現役です。懐具合は増えもせず減りもしないけれど、何となく豊かです。農村は理想郷ではないけれど、死ぬまで人間らしく生きる道が十分あります」と千野果樹園の女性は語っておられます。
農村のおじいさんおばあさんの生き方から、農業と農村が人間形成に果たしてきた役割の大きさを思わずにはおれません。私たちもこの方たちに学び、少しでも心豊かにくらしたいと思っています。