2月も末頃になると、ときどき春の香りが食卓に出されるようになります。まだまだ冷たい小川の水際に出だした柔らかいセリのごま和えや、フキノトウやヨモギの天ぷらなど、山菜のさわやかな苦みは体の隅々にまで広がり、春の近さに期待が高まります。
冬の厳しい農山村でも3月の半ばには、灰色に沈んでいた野面全体がいつの間にかうっすらと緑になり、山々が少しずつ芽吹き始めたかと思う間に、いっきに春色に染まっていきます。
春です。枯れ草の間に柔らかそうな芽をのばし始めたヨモギを摘み取って、草餅をつきます。重箱に詰めてたっぷりのアズキあんをのせ、ご近所にもお裾分けして春の到来を祝い、農作業を始める心づもりをするのです。
そして4月、若草色に化粧し始めた山々のあちらこちらに、コブシやヤマザクラが白や淡いピンクをにじませるようになり、ミツバツツジが山裾のところどころで濃い赤紫色のアクセントを付けています。田植えの準備や野菜のタネまきも始まり、田畑に人々の姿が目立つようになってきます。
集落のあちらこちらで、高く上げられた鯉のぼりがのどかに泳ぎ、農家の庭先には色とりどりのスイセンやボケやレンギョウの花が咲き、自然の営みと人々の暮らしが創り出す風景はまるで絵のようです。
4月も半ばになると、山野にはその土地に合った山菜たちが次々と顔を出します。ツクシ、イタドリ、ヨモギ、コシアブラ、タラの芽、ワラビ、ゼンマイ、コゴミ、ノビルなど、自然の営みに遅れることなく次々と芽を出し育っていく山菜たちに誘われるように、農家の人たちは弁当持ちで連れだって山に入り、知り尽くした山のあちこちに自生する山菜の収穫を楽しみます。
芽吹きの音が聞こえるような山野では小鳥が歌い、暖かな陽差しと少し冷たいけれどさわやかな風が心地よいこの「山行き」は、ピクニックのように楽しい春の行事です。
収穫した山菜は、青菜の少ないこの時期に、新鮮な香りと苦みを楽しませてくれます。また、わが家の食卓を彩るだけでなく、お隣にもお裾分けされて喜ばれ、残ったものは一年中楽しむために塩漬や乾物に加工されます。
4月は花の季節、お花見も楽しみな行事です。サクラが咲き、菜の花が畑を覆います。ナタネのつぼみやツクシを入れたちらし寿司や山菜の和え物などのご馳走をつくり、氏神様の境内やサクラ並木のある土手に集まって村中でお花見をするのです。
冬が厳しければ厳しいほど春を迎える喜びは大きく、お寿司のおいしさやみんなで遊んだ楽しさが、子供たちの心にふるさとの思い出をしっかりと残します。
形は変わっても、農との関わりを持っている地域では、今でもこんな行事が受け継がれていることでしょう。そして、お花見が終わると忙しい田植えの準備が始まり、厳しい労働が稔りの秋まで続きます。
2000年を越える歴史の中で、先祖が英知と汗を絞って創り上げてきた私たちの暮らしと文化は、豊かな自然の営みと大地に抱かれて営々と続けられてきました。
しかしここ数十年、人間は自然には存在しなかったものをつくり出し、傲慢にも力で自然を征服しようとしてきました。
愛子が生活改良普及員として担当していた大阪府の最北部の能勢(のせ)町で、ゴミ焼却場から出たダイオキシンが大問題になったのは、1998年の春でした。能勢町は京都府と兵庫県に接する美しい山間の農村です。
「大阪府能勢町にあるゴミ焼却場からダイオキシン発生!」というニュースが飛び込んできた翌日は、問題の焼却場がある歌垣(うたがき)地域で、農家の人たちが生産物を持ち寄って開いている「ふるさと朝市」の開催日でした。
いつものように、朝霧の立つ早朝から収穫した野菜や花を、軽トラックに積んで運び込むおじいちゃんや、一輪車で運んでくるおばあちゃんたちが集まり朝市の準備が始まりました。朝市の会場、能勢町交流促進施設「うたがき」の調理室では、農産加工グループ『めんめ』の40〜50代の農家の女性たちが、ダイオキシンのニュースを話題にしながら、お客さんに出すためのサツマイモを使ったお菓子としその葉のお茶の準備をしています。
広い庭にはおじいちゃんおばあちゃん、女性たちがいっしょになって二十数軒のかわいいお店が円をつくって並び、お茶の準備もできましたが、いつもなら自動車が次々と入ってきて混み合う時間なのに自動車の姿が見えません。
やっときてくれた常連のお客さんの「ダイオキシン、大丈夫? いつもおいしくいただいているお野菜だけど、今日はよそうかと思ったのよ」という声が、地元の人たちにこの問題の大きさと恐ろしさを知らせることになりました。
多いときには200人を超える人たちが訪れ、元気で楽しい会話が飛び交い笑顔のあふれる「ふるさと朝市」なのに、この日は何と静かで沈んでいたことでしょう。お客さんはたったの8人だったのです。
この日を機に、女性たちを中心に「ダイオキシン」についての勉強が始まりました。そして、ダイオキシンは人間のつくり出した物質の中で、もっとも毒性の強いものであることを知り、行政が進める風評被害対策だけではだめだと気づいていきました。
彼女たちは自分たちの命と暮らし、先祖が大切にしてきた土と農業を守るために、お年寄りたちとも相談し、「ふるさと朝市」ではビニール袋などは使わず、野菜などは新聞紙に包んで渡すことにしました。
自前の買い物袋を持ってきてくれた人には、能勢町の土に植えた花の苗をプレゼントして土の大切さを知ってもらい、まわりに花を咲かせ美しい環境をつくってほしいと訴えたのです。「ふるさと朝市」の会場に立てられた2本の高い柱には何枚もの大きな黄色いハンカチがひるがえり、幸せを願う農家の心が示されました。
あれから8年、ゴミ焼却場のダイオキシン問題は、今でも汚染土壌の処理などに大きな課題を残していますが、その後にオープンした能勢町物産センターでは、女性たちが中心に取り組んでいる有機農産物が好評を得ています。
このように、日本の原風景を残す農村にまで恐ろしい化学物質による汚染がおよび、私たちの暮らしを根底から蝕んでいるという現実があります。
現在も能勢町の歌垣地域では、たった1ヵ所しかない診療所や農協の支所がなくされるという問題が起こっています。高齢化が進む農村で、身近な診療所がなくなることは命を縮めることにつながります。 また、「農協がなくなるとタンス貯金するしかないかね」というお年寄りたちの声も聞こえてくるのです。
さらに、「今年も豊作でありますように」と祈りつつ、安心して米づくりが続けられる時代になることを願わずにはおれないのが、悲しいけれど農業の現実でもあります。
しかし農村には、豊かな自然とその自然に生かされその自然を生かし切ってきた農家の知恵と技があります。煩わしいけれど本音で付き合ってきた人々のつながりが生きています。ダイオキシン問題に、知恵と力を出し合ってみんなで取り組んだように、きっと、ねばり強く郷土と暮らしを守る取り組みが進められていくことでしょう。
こんな農村での日々の営みを、根っこのところで支えているのは家族で取り組む農業、地域で協力し合って続けられる農業です。
日本の農業の大切さを、もっともっと多くの人たちに知ってほしいと願いつつ、春爛漫の近江の地で野菜づくりを楽しんでいます。