稔りの秋を楽しむ初秋の暮らし 2
(2006/09/15)

《承前》

都市化の波の中で生き抜いてきた農家の女性たち
  愛子が20歳のとき、初めて生活改良普及員として担当した大阪府寝屋川市は、大阪と京都を結んで走る京阪電車の沿線にあります。大阪市からは鬼門の方角に当たるといわれて都市化の進み具合は遅く、田園風景が淀川から生駒山系に向かってゆるやかに広がり、都市化のきざしはあるものの、まだまだのんびりとした農村地帯でした。45年も前のことです。

 「野崎詣りは屋形舟で参る 何処を向いても菜の花ざかり 粋な日傘にちょうちょうがとまる……」と「野崎小唄」で歌われているのは、生駒山の山麓にある野崎神社へ、寝屋川に屋形舟を浮かべてお参りするときの風景です。この歌にあるように、昔は寝屋川の堤に立つと、一面の菜の花畑が見渡せたそうです。愛子が赴任した1961年(昭和36年)頃には、まだ少し菜の花畑が残っていた記憶があります。

 赴任した愛子を迎えてくださった農家女性たちは、子育て真っ最中の40歳前後の元気な方たちでした。彼女たちは生活改善クラブに参加し、他産業で働きだした夫を助けて農業を担おうと、「水稲多収穫講習会」や「水稲現地検討会」で勉強し、「水稲多収穫品評会」で、栽培技術自慢の男性たちを抑えて優秀な成績を修めた人もありました。また、家族の健康を守ろうと料理の勉強や不足しがちな食品の共同購入、栄養豊かな野菜の栽培方法の勉強にタネの共同仕入れなど、必死で取り組みました。

 当時から「農業の曲がり角」という言葉が使われだし、農家の兼業化とともに寝屋川市の風景は大きく変わっていきました。今や田んぼは埋め立てられてぎっしりと民家が建ち、新しい人々が新しい寝屋川市をつくっているようです。そしてところどころ、まるでだれかの忘れ物のように、元農家らしい大きな屋根と植え込みを持った家の集まる集落と、ほんの少しの田畑が異質な空間をつくっています。

 愛子が、ともに必死で学びあったあの農家女性たちは、都市化の大きなうねりに翻弄されながらも、クラブ活動で学んだくらしの技術を生かし、仲間と手を結びつつしっかりと生き抜いてこられたようです。すでに亡くなられた方々もありますが、今でも生活改善クラブの活動を続け、ふるさとの郷土料理を若い人たちに伝える講座を開くなどの活動をしておられます。その活動の中で、10年かけて「ふるさとの庶民の歴史」を文章にし、1985年(昭和60年)に一冊の本にまとめられました。

 この本には、ふるさとと農を愛する心、そして、彼女たちの日々のくらしを大切にする生き方があふれ、読むたびに胸が熱くなります。


農家のくらしの豊かさと心の深さ
 この本から、寝屋川市生活改善クラブのリーダー的な存在であった杉浦エンさんの「お月見」という文章をご紹介します。

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 庭の木でつくつくぼうしが鳴き始めると、日中はまだ厳しい暑さでも、朝夕は少しづつ涼しくなる。お母さんの眉を思い出させるような三日月が日一日と丸くなって中秋の名月。洗い米を石臼でひいて、それからがなかなか大変。「だんごくや、ほねくうや」とぼやきながらも楽しげにだんごつくり。あずきのあんもこってりつけて十三、七つ盛りつける。それから、お父ちゃんは畑の芋おこし、「いやじゃ、いやじゃと畑の芋は、かぶりふりふり子が出来た」土の中では親芋を囲んで、子芋があまえている。その子芋を煮て、十三、七つ。泥芋入りの醤油御飯を炊いて、供える家もある。一升瓶にすすきと萩をさして、一緒にお供えする。
 「お月さんいくつ、十三、七つ、まだちょっと若いな」
 子供たちが団子や芋をつきに来るので、本物は屋根の上に、手の届く所には泥団子などを作っておく家もあった。この供えた物を取られると一年中いやなことが起こり、人に気づかれずに取ると子供らはかしこなると言ってよろこんだそうな。
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 杉浦さんはもう90歳近くになられて、残念ながら病床におられると聞いています。この本にたくさんの文章を載せておられますが、「……雨もいとわず一寸も余さず水田と化す。まだ残っている家へは一株でもと手伝いにゆく。うすみどりの早苗が並ぶ。この日は陽のあるうちにふろに入り窓外の水田に音もなく、しびしびと絹糸を引くがごとき雨。水口で蛙がガヤガヤとさわぎ、くちなしの花強く匂う、取り入れから田植えまでの疲れをわすれて、うっとりとした気持になり、百姓にして味わえる風情ではなかろうかとひとりほほえむ。………」と田植えの終わった日の思いを書かれた文章には圧倒されます。

 きつい農作業や厳しいくらしの中でも、こんなに深いまなざしと豊かな心をもって生きてこられたのです。
 
 和雄は農業改良普及員、愛子は生活改良普及員として農家の方々とともにお仕事をさせていただき、喜びや悲しみもいっしょに味わうことができたことを本当によかった、ありがたかったと思っています。そして、退職した今になって農家の人たちの思いがいっそう深く心を打つようになりました。 

 真っ黒に日焼けされた若い頃の杉浦さんや、汗まみれになり目に染みる汗を拭きながら畑の草取りをされていた能勢町の農家女性の笑顔が、ことに懐かしく思い起こされるのは、私たちが年を重ねてきたからでしょうか。
 たくさんの農家の方々から教わったことを、もう一度思い起こし、本当に大切なものをかみしめてみたい秋になりました。