『鑑賞 女性俳句の世界 第6巻』を
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(2008年6月:角川学芸出版/2800円)


角川学芸出版から刊行された『鑑賞 女性俳句の世界 第6巻』は、類書とはやや趣を異にした編集が刺激的である。この本には現在最も刺激的な活動をしている40代から70代までの女性俳人が、伝統系、前衛系の区別なく収録されており、作品の鑑賞は俳人、歌人、詩人と多彩な執筆者が担当している。

また、収録する俳人を選ぶ際に、一般的には馴染みの薄い俳人や難解な俳句を創作する俳人をも作品本位で収録していることは、この本の編集者の見識の高さを物語っているだろう。現在の女性俳人の重厚な創作活動が、この一冊によって伝統系から前衛系まで見渡すことができるように工夫されているのである。

この本に収録されている俳句にはここに紹介したいすぐれた作品が数多くあるが、今回はその中から豊口陽子の作品に絞って取り上げてみたいと思う。その理由は豊口の俳句が私の想像力を掻き立て、俳句が「詩」であることの意味を挑発的に刺激するからである。

>>杏散る大地いちめん女の貌

『花象』

>>転生のわれを訪い来る沼明り

>>皆既食は海原に髪ひらく

『睡蓮宮』

>>絶景や大蛤の開かずの間

>>日の丸の四隅溶け去り鶴の空

『藪姫』

>>稲妻の今生に立つ裁鋏


豊口の俳句には内在化されたイメージの充溢が、外部に向けて解放されるときのストイックなまでの快楽が備わっている。それは俳句表現の本質を求心的に追求するものであり、この詩型の内部でのみ意味を持ち得る言葉の力が発露されたものである。

豊口は俳句が「詩」であることの意味に向けて、「俳句とは何か」を問い続ける。それは俳句という詩型が胚胎している「詩」の本質を追求することであり、俳句を詩的に創造するという意味とはいささか異なる。そして、そのような創作行為は常に困難に直面する。豊口の俳句の密度はそのような困難との闘争によってもたらされたと言ってもいいだろう。

1句目は杏の花が大地いちめんに散ることにより女の貌に見えてくるという句である。色彩感覚が鮮やかな想像力の豊かな句であり、この句が内包する生命感は激烈である。またこの大地は太母グレートマザーを暗示しているようにも思える。エロスとタナトスが融合した世界とでも言えばいいのだろうか、独自の生命感と生理感覚が息づいている。豊口のリビドーが憑依したような不気味さが宿っている句である。

2句目の「沼明り」は前世からやって来たものだろうか。また、3句目の「」は、「身」、つまり「自身」のことが重ねられているように思われる。4句目は「大蛤」の内部を「開かずの間」に譬え、それを「絶景」として称讃する豊口の想像力が楽しい。大蛤(蜃)が息を吐いて水上に楼台を出現させるという漢詩を踏まえた句である。

5句目は引用した俳句の中で私が最も好きな句である。それはこの句が内包しているイメージの豊かさが快いからである。この句が表出するイメージは読む者の利害の差異によって、様々な様相を呈する。戦後から現在までの日本の象徴化を見る者、現在の日本人の精神性の喩化を感受する者……。それがどのようなイメージであれ、この句自身が内包している言葉の力は、それぞれのイメージを豊かに生かす。豊口を代表する句ではないだろうか。

6句目は「稲妻」と「裁鋏」の取り合わせが鮮烈で、この二つの言葉を繋ぐ「今生」という言葉が絶妙である。

『鑑賞 女性俳句の世界 第6巻』の発刊は、歌人に知られることのなかった豊口陽子の特異な俳句世界を身近なものにしてくれた。この機会に一読することをお薦めしたい。

さて、最後にあたって豊口陽子の簡単なプロフィールを紹介しておく。
豊口陽子は昭和13年東京生まれ。東京教育大学の彫塑科を卒業後、「未定」などの同人誌を経て、現在「LOTUS」の創刊同人として活動している。安井浩司に私淑、のちに師事。句集は、『花象』『睡蓮宮』『藪姫』。


08/08/25 up
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