大辻隆弘著『岡井隆と初期未来 若き歌人たちの肖像』を読む。

(2007年8月:六花書林/3150円)

不思議な書物である。なぜ、大辻隆弘はこれほどの執念をもって、「未来」草創期の若者たちの赤裸々な青春群像を描かねばならなかったのだろうか。ましてや、敬愛する師である岡井隆の心の内面に深く踏み込むような行為を行ってまでも……。

評伝としてもエッセイとしても、この書物の価値はけっして軽いものではない。当時の資料と短歌作品を丁寧に分析し、点と点を結びながら線にして、物語を紡ぐ地道な作業は、「未来」草創期の青春群像を歌壇の表舞台に生き生きと甦らせた。その歌に賭けた青春の凄まじくも美しい交流は、読むものに強い衝撃を与える。

「吉田漱と岡井隆」との交歓、「岡井隆と稲葉健二」との「未来」編集をめぐる確執、「福田節子、相良宏、岡井隆」の複雑な三角関係、「Yと岡井隆」の交際など、この書物に描かれた印象的な場面は枚挙に暇がない。しかし、私はその中でもYという女性を描いた第四章「赤きヴラウス―Yと岡井隆」が最も印象に残っている。それは、Yに対する大辻の眼差しにも関係している。時に手厳しく、また大胆に内面に切り込む大辻の心理分析が、Yに向かったときには、その眼差しに言葉にはいい表しがたい愛情を感じるからである。特にYの歌との別れを記した、近藤芳美にあてた手紙を読み解く場面など、Yの痛切な思いに私の胸も苦しくなった。この書物の功績はいくつも数え上げられる。しかし、Yという女性を「未来」史上に甦らせたことは、その功績に得難い意味を付与したことは確かである。

また、「未来」昭和29年2月号に掲載された、岡井隆の連作「豊島園まで」が書かれる経緯を、現地取材した場面(第五章「昭和二十八年十二月―相良宏と岡井隆」所収)もとても印象的である。大辻がこの現地取材を通して、人の生の儚さ、頼りなさを実感したことは、この評伝が書かれねばならなかった理由の一半をも説明している。

たとえば短歌作品もフィクションである以上、その作品から作者の実生活を想像することが、いかに危うい行為であるかは今更確認するまでもない。また、他のどのような資料の解釈にあっても同様の危険は避けることができない。ましてや、人の心の内を作品や資料から推し量る行為には、否応なく恣意的な判断が介入する。その意味では、作品や資料を誰がどのように分析したとしても、そこに描かれたことを保証する真実はどこにも存在し得ない。たとえそれが本人の証言であったとしても同様である。保証されるのは資料的な事項に関するもののみだろう。

この書物に描かれた「未来」草創期の若者たちの姿は、大辻隆弘という歌人を通過したものである。それは、「未来」草創期の若者たちの姿を羨望した大辻が、止むに止まれぬ思いで描き出した青春群像である。私はこの書物の内部に、大辻の「未来」入会後の青春の傷みとの対話があるのではないかと思っている。「未来」入会後に味わったであろう体験の諸相が、表出されることなく、この評伝の内部には深く秘められている。

私には大辻が、この書物を通して、自己の作歌のアイデンティティーをも確認しているのではないかと思えるのだ。それこそ、あまりに恣意的な解釈に過ぎるかもしれない。が、そう思ったときに、この書物がどのような犠牲を払っても書かれねばならなかったすべての謎が解けたように思えてくる。このすぐれた労作が広く読まれ、多くの批評がなされることを期待する。

最後に蛇足になるが、作品に対する解釈で疑問に思った一首を指摘しておきたい。それは、福田節子の次の歌である。

  わが乗りて帰る電車よ電柱の影よぎりつつ迫り来るみゆ

「第三章 清瀬の森」140ページ

大辻は、この歌を電車の内部の歌として解釈しているが、これは、ホームで電車を待っているときの歌ではないだろうか。電柱の影をよぎりながら迫ってくる電車は、その後の福田の運命を暗示しているようで不気味である。


07/09/10 up
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