喜多昭夫句集『花谺』、
少年詩篇『デュナンの休日』を読む、その2。

少年詩篇『デュナンの休日』を読む前に前稿について 一つだけ触れておきたい。「花の昼包丁研ぎの出前かな」という俳句の読みについてである。私はこの句について、「『包丁研ぎ』と『出前』が私の中ではうま く結びつかない」と書いたが、万来舎の大石さんの指摘で、実際に包丁研ぎの出前が、現在も存在することを教えられた。戦前まではそのような職業があること を知ってはいたが、今も存在しているとは思わなかった。少なくとも私の住んでいた地域では見かけたことはない。喜多さんは金沢という古都に住まれていたの で、日常生活の中で見聞していたのだろうか。ただ、私がそれ以上にこだわったのは、「包丁研ぎ」と「出前」という語感の問題である。何かしっくりと来ない ものがあってあのような表現になった。しかし、俳句の鑑賞として、この点は反省しなければならないだろう。

少年詩篇『デュナンの休日』には、「内灘夫人」というタイトルの俳句の連作が収録されてい る。このタイトルが「武蔵野夫人」を意識して付けられたものかどうかは分からないが、この連作には思春期の文学青年に特有の性の目覚めや叔母への愛が物語 風に描かれている。ただ、冒頭の句「学寮に夏蝶のくる『ハハキトク』」を読むと、寺山修司への意識があったようにも読める。思春期の青年が思い描く情景に 既視感を感じるところはあるが、それらの句を読ませるだけの力は備わっている。

叔母さまの家へ行く径蛇いちご
はらはたのごとき風紋日の盛り
叔母さまの胸のラインや夏館
本日のスープは愛のことばかな
寝室へつづく廊下や神の旅
寝室の扉を押せば花野かな



1句目と最後の句など、取り合わせの工夫が凝らされていて面白い。2句目も目を引くが、やや付きすぎの観がある。「神の旅」の句は表現の飛躍が的を外しているのではないか。3、4句目は、露骨な表現に青年期の表現意識が直截に表れている。

本書は、15歳から20歳の間に書かれたもので、巻末の一篇だけが、2013年に書かれたものだということである。
詩については、長いものより短い詩に目が留まった。

   午睡

追憶よりも淡く
血のなかに草原がある

少年たちは木漏れ日に眠っている
並んだうすい胸は
斑入りの葉のようだ


本書の中で私の一番好きな詩である。過不足のない表現により全体が整っている。素材と表現の射程がうまく融合した秀作である。次の一行詩も私の好きな作品である。

   春

水の一字が濡れている


次の三行詩も興味深い。出来は前2篇に劣るが、一読何でもない表現からかいま見える作者の心理は、詩を成立させるのに必要な条件を充たしている。

   七月

りつ子は
胸のうえに
小さなバンドを留めている


これらの短詩を読むと、喜多の詩質の原点がこのような詩の中にあるように思えるのだがいかがだろうか。

詩は、素材とモチーフ、構造とそれを支える文体において危機クライシスを内在している。また、そのような危機クライシスを内在していないような詩は、多くの場合傑出した詩にはなり得ない。短い詩が定型詩との親和性の内部で表現世界を 構成している場合、詩の危機クライシスは良くも悪くも定型性に依存しているところにある。それは詩にとっての正負の二面性を運命付けるものだろう。喜多の先の三篇の詩は、詩の背後に定型性が予想されているように読める。それは喜多自身の創作意識からではなく、詩そのものが定型性を予想して成立している ということである。また、読者である私が定型性の予想の内部でこれらの詩を読んでいるということだろう。

詩は長さ自体が問題になるものではないが、ある一定の長さ以上の詩には、その危機クライシスが定型性とはまったく無縁な処で派生する。しかし、一行詩や数行内外の詩は、詩が内在する危機クライシスと定型性の問題が交錯する処に表現の本 質が露呈する。これは見方を変えれば、短歌を創作する場合にも当てはまるものである。短歌は自由詩を断片化した表現ではなく、自由詩とは異質なものであることが自覚されていない場合、一行詩もどきの中途半端な定型詩にしかなり得ない。本稿ではその点を追求することはしないが、詩もどきの短歌を批評の場で明確に論じることは、短歌の将来にとっても必要不可欠なことである。

喜多のやや長い詩を読みながら、印象に残った表現を次に引用してみたい。


足の裏に 運命がある「出征前」より



帰りがけゲートルを巻き直してもらいながら
僕はふと少女のエプロン姿を想像した
でもそれは琥珀いろの倒立像となって
もはや雨粒と区別がつかなかった
同上




血を垂らしながら
秋が繃帯をして立ちどまる
「兵士の本懐」冒頭部分




明日も
明後日も
競り落とされない
秋刀魚の人生!
「市場」最後の部分




痩せた女の屍体 昨日の太陽で照らすものは
やさしい指の骨
死期の快楽は
いつも僕の心臓を狂わす

眼を閉じると
赤い痰の象がうつる
そして死ぬ影は明るい
「血の眼」最後の部分




だが俺たちは
朽ちながら熾き火を棲まわせ
死んでいったものたちと息を合わせる
ふかく吐きふかく吸う

体に切れ込みをいれるように
思い出の水路をたどりながら
さかさまの影をつかむ
「祈念のためのエチュード」最後の部分




最後の引用は巻末の詩からで、2013年に創作されたものである。東日本大震災に触発され た詩として読んでいいのだろう。このように詩の断片を引用しながら、喜多はやはり定型詩の創作者としての詩質を青少年時代から持ち合わせていたのだろうと 思いながらも、そうははっきりと区別ができない。表現者としての可能性を、その後の結果から過去に溯行させて言及しても分かることは現時点からの事実のみ である。

私がこのような詩の断片から言えることは、喜多の表現者としての可能性は言葉の内部に表出しているが、それがその後の詩の方向性を決定づけるかどうかは、表現者としての可塑性に委ねられているということである。結局結論めいたことは何も言って いないことに等しいが、喜多の詩表現の原点に、ここに引用した短詩や詩表現の断片が深く関わっていることだけは間違いないのではないかと思われる。


14/08/25 up
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